慶應出の野球選手と言うと、真っ先にこの選手が思い浮かぶ。
1952年3月生まれ。同じ年の早生まれに、太田 幸司 、蓑田 浩二、MLBではフレッド・リン、ロイ・スモーリー、ホアキン・アンダーハー、テリー・フォースター。

清水東高、慶應大学を経て1973年ドラフト1位で大洋に入団。

キャリアSTATS

D-Yamashita


(評間違えていました。失礼しました)

初出場は1974年4月7日、岡山県営球場の阪神戦、8回裏に遊撃手として出場、初安打は4月20日の川崎球場、阪神戦、7回裏に奥江英幸の代打として若生智男から右前打。

入団した年にいきなりオールスターに先取される。同い年の太田幸司同様、アイドル的な人気だった。
実家は会社経営、親は大金持ちで早く野球をやめろと言っていたという。「花形満みたい」と話題になっていた。

ルーキーのオールスターでは、東京六大学の花形内野手として、この年引退した長嶋茂雄と2ショット写真を撮っている。

人気先行で、規定打席に達していないのに、翌年もオールスターに選出される。
しかし、ここからじわじわと実力を蓄え、リーグ1の遊撃手に成長していく。

遊撃手としてはグラブさばきが非常に巧みで失策が少なかった。また、打者によって守備位置を変えるなど。クレバーな内野手でもあった。

打者としては当初は下位を打つことが多かったが、長打が増えて上位打線を打つようになる。攻守ともにバランスのとれた名選手になっていく。

それとともにミーハーの人気がなくなり、オールスターに選ばれなくなったのは皮肉なことだ。

キャリア後半には、髪の毛がなくなって、アイドルの面影もなくなったが、名人肌の内野手として評価されるようになる。

1985年に二塁、86年には三塁手にコンバートされる。まだ働けそうだったが、1988年のシーズン前に引退を表明。

横浜の監督を二期務めたが、いずれも最下位。監督成績。

D-Yamashita-MNG


コーチのキャリアを積む。MLBでも守備を指導するなど顔も広い。
今はMLBの解説で歌を歌うなど、気さくで親しみやすいキャラクターで知られる。

何をしても品の良さが感じられる野球人だ。


先発投手の白星がついたのは何試合目?

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