1953年を最後にして、8つのポジションを固定するチームは25年間も出てこない。選手層が厚くなったからだろう。

1970年代には3例。

1970-Kitei


1978年の大洋が25年ぶりにポジションを固定。
田代、山下と言う若手内野手が定着し、戦力的にも充実してきた。しかし投手陣がダメで優勝には縁遠かった。

それ以降の2チームはパ・リーグ。
大洋の例を除き、70年代になってパで再び野手のポジションを8つ固定するチームがでてきたのは、DHで野手のポジションが1つ増えたからだ。DH導入以前から7つのポジションを固定するチームはたくさんあった。
そういう意味では当たり前の話だが、一応その事例を紹介する。

1979年、マニュエルの登場で強力打線が出現した近鉄が8人を固定。全員が二けた本塁打だ。規定打席に達しなかったのは捕手の梨田だけ。3打席足らず。

同じ年の日本ハムは二塁の菅野だけが規定打席に達せず。

1980年代は5例。

1980-Kitei


1981年の阪急は福本、加藤英という主力組が円熟期に至った時期。捕手の中沢だけが規定打席に達せず。

1984,5年のロッテはチームの顔が有藤から落合に代わった時期。有藤は外野に追いやられる。84年は、遊撃の水上、85年は外野の有藤が規定打席に達せず。

1986年の日本ハムは外野の二村忠美が規定打席に達せず。大沢親分の時代。

そして1987年、セ・リーグでは10年ぶりに広島がメンバーを固定する。衣笠が連続試合を更新したまま引退を表明した年だ。


1954年宅和本司、全登板成績【最多勝、最優秀防御率を獲得した黄金ルーキー】

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