こうしてSTATSを見ると、NPBでもMLBでも圧倒的な成績を残していることがわかる。
1974年6月生まれ、同い年に柴原 洋、村田 善則 、今岡誠、野口 茂樹 、副島 孔太 、ホセ・フェルナンデス 、小林 雅英 、塩谷 和彦、大友 進 、澤崎 俊和、岡本 真也、李 炳圭 、岩瀬 仁紀 、井口 資仁 、MLBではデレク・ジーター、ボビー・アブレイユ、ミゲル・テハダ、ジェイソン・ケンドール、ケビン・ミルウッド、ジョー・ネイサン。

星稜高校時代に圧倒的な打棒を誇り、甲子園で5打席連続敬遠。1992年ドラフト1巡目で巨人に入団。

H-Matsui


わずか1か月の二軍戦で、4本塁打を打ち、ずば抜けた力を示す。
一軍初出場は、1993年5月1日、東京ドームのヤクルト戦、7番・左翼手で先発出場し、5回裏に西村龍次から右翼フェンス直撃のタイムリー二塁打。翌日には初本塁打。
1年目は二軍戦にも35試合出場。新人王の期待が高かったがヤクルトの伊藤智仁に譲った。

しかし翌年からは主軸として活躍。四球が増えるとともに本塁打、打率が上昇。

長打だけでなく、打率も、出塁率も極めて高かった。そして松井は屈指の「RBIイーター」でもあった。
1000本安打は2000年7月12日、札幌市円山球場の広島戦、4回裏に澤崎俊和から右翼線へエンタイトル二塁打。
1988年の東京ドームの開場を契機としてNPBの球場は大型化し、日本人選手の本塁打は減っていったが、松井は次第にずば抜けた長打を発揮するようになり、2002年、1986年の落合博満以来のシーズン50本塁打を記録する。

21世紀になると松井は無敵の打者となり「やることがない」状態となる。ONであればこの好成績を維持し続けただろうが、1歳上のイチローがMLBに渡った時代にあって、松井もそのあとを追った。FAによる移籍。

ヤンキースでは、ジアンビなどの強打者の打棒に驚くが、中軸を打ち、打率、本塁打は物足りなかったものの106打点を挙げる。

以後も3年連続で100打点。当時、物足りない気もしたが、その後の日本人選手の成績を考えると、すごい成績を上げ続けたものだ。

2006年5月11日、左翼でボールを捕球した際に左手首を骨折。NPB2年目から続けてきた連続試合出場が1768試合で止まる。

以後も主軸打者として活躍したが、成績は下降線。年とともに腰、膝に故障を抱えるようになる。
2006年の負傷がなければ、もう少し下降線のラインは緩やかだったはずだ。

2009年はワールドシリーズのMVPとなったが、契約延長はかなわずFAに。

エンゼルス、アスレチックスと渡り歩いたが期待にそう成績は上げられず。2012年限りで引退した。

NPBにいたらどれだけの記録を樹立したかとも思うが、長距離打者としてMLBで松井以上に成功した日本人がいないのも事実だ。
十分に力を発揮したといえるのではないか。

引退後は巨人の懇請になびかず、悠々自適の日々を送っている。


長池徳士、全本塁打一覧(後編・1972~1979、その他)|本塁打大全

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