メディアの清宮100本塁打の空騒ぎを見るにつけ、高校野球のリーグ戦は不可能なのかと思う。
もともと野球というゲームは「勝ったり負けたり」するものだった。リーグ戦はそもそも野球が始まりであり、これがサッカー界にも伝搬したようだが、野球はリーグ戦をするようにできているのだ。

日本でも大学野球はリーグ戦だったが、中等学校野球のちの高校野球のトーナメント大会ができて、それが全国的な人気を博したために、高校ではトーナメント制の野球が定着した。そのために各高校の試合数が減った。

欧米では「スポーツは、試合に出場してこそ上達する」という考えがある。ゲームをしなければ始まらないと思っている。
しかし日本は「試合よりも練習」である。「練習こそが選手を鍛える」は飛田穂洲以来の考えだ。中等学校野球の試合数が少なかったからなのか、「練習重視」で試合数を減らしたからなのかはわからないが、「試合には出ない野球部員」が平気でまかり通るのも、こうした「練習至上主義」があるからだ。

公式戦が少ないため有力校は、これを補うために練習試合を組む。清宮の本塁打記録は、そういう試合も含めてのものだが、そこには客観性も信頼性もない。

高校生の本当の意味での実力を知る上でも、地域間のリーグ戦を行うべきだ。甲子園実績のある有力16校あたりをAリーグとして、秋から翌年春まで、3試合総当たりの45試合をこなして、その結果で春の甲子園を決める。みたいな形ではどうか。

もちろん、それ以下のチームもB、C、Dとリーグを組む。入れ替えもありにする。

アメリカの高校の多くは、地域でリーグを組んでいる。その成績はリーグや各高校の公式サイトで見ることができる。それを見れば、有力選手は一目瞭然だ。

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残念なことに今、アメリカでは10代の少年を対象にしたアナリストサイトが盛んになって、プロ入りはるか以前から、ランキングができてしまっている。また、少数のスター選手を生み出すために、各地にトーナメント大会が生まれている。
アメリカの野球が変質しているのは気がかりだが、昔からのアメリカのスタイルにすれば、選手の出場機会は増える。弱い学校も、能力が低い選手も試合に出て、自分の力を試すことができる。
部活は教育だ。「教育の機会均等」を目指すうえでも好ましい。

もちろん、そのリーグ戦で清宮のような打者が本塁打を連発すれば、それはほんまもんの大記録になる(あくまで高校レベルだが)。
そして清宮以外にもそれに肉薄している選手や、ライバルの投手、個性が異なる選手にも脚光が当たる。
客観的に選手の評価ができる。軽佻浮薄な空騒ぎとは異なる注目も生まれるだろう。

ま、高野連はそういうこともできないほど、頭が固いのだけれども、やるべきだと思う。


荒木雅博、全本塁打一覧|本塁打大全

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