野球やサッカーはともかく、陸上競技は身近に競技者がいなければ、縁遠いものなのだろう。
私は長居競技場の近くに住んでいたし、高校部活の取材をたくさんしたので、陸上競技についてもう少しリアルな感覚を持っている。
「アスリートはみんなナンバーワンを目指してるんじゃないの」と言われれば、そうではないと答えざるを得ない。
全国大会は「世界に通用するアスリート」のためだけにあるわけではない。
自分の持っている数字を少しでも上げたいと思う大部分のアスリートのためにもある。
「ナンバーワン以外はいらない」は、桐生やケンブリッジに勝てるはずもない多くのアスリートをあたかも無価値のように言っている点で、心無いコピーだ。

「みんなが1位を目指している」という人は、おそらくインターハイや国体を実際に見たこともないと思う。ましてやアスリートに話を聞いたこともないだろう。
トップクラスのアスリートの下には、はるかに多くの選手がいる。彼らがどれだけ謙虚に自分の実力を知り、それぞれ自分の目標を立てているか。
知らなくてもそれくらいの想像はできると思うが、他人事だという意識がそういう見方になるのだろうか?

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確かにオリンピックへ向けてトップアスリートを作り出すことは「国策」なのだろう。私はくだらないと思うが、そういう流れがあるのは承知している。
しかし、トップアスリートを作るためには、広いすそ野が必要だ。
昔のソ連や今の中国、ロシアのように「ステートアマ」を選抜し、動物を調教するように育成することができるのなら(ついでにドーピングもして)、広いすそ野は必要ない。

しかし日本は、多くの競技人口を擁し、その中から選び抜かれてトップアスリートが生まれてくるという構造を築いてきた。
日本もエリートシステムを導入しつつあるが、それでも高校、大学、社会人で競技をする一般の競技者と、トップアスリートは連続性をもってつながっている。
指導法やフォーム、練習法などを多くの指導者、競技者が共有し、体系化することで日本のスポーツ界は成り立っている。
トップアスリートの考え方をすそ野までがフィードバックすることで、全体のレベルアップを図っている。

ロシアや中国のようにいくら金メダルをとっても、市民の健康増進、スポーツ振興とは全く無縁であっては、意義はない。
日本のスポーツ予算は、国威発揚のためではなく、基本的人権である「生存権」の質的な向上のために使われる。そのことをもう一度かみしめたい。

今の野球が、「うまくなければ意味がない」「甲子園に出なければ意味がない」というエリート至上主義によってすそ野がどんどんやせ細っていることを考えても、スポーツのエリート主義は共益に反している。

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今回のキャッチフレーズは、そうした構造を無視している。おそらく上から与えられた「メダルを何個取れ」という指令のもとに作られたのだと思うが、これによってナンバーワンに縁のない大部分のアスリートの気持ちを数%は萎えさせていると思う。
この国の空気は今、粗野で優しくない、無神経なものになりつつある。そんな中で生まれたキャッチフレーズだ。

想像力を働かせてほしい。
全国模試のポスターに「東大以外は意味がない」「偏差値70以下はいらない」というキャッチをつけたら、他の受験生はどう思うだろうか?
このコピーは「キャリアハイ」を価値がないかのように受け取られかねない点で、決定的な欠陥がある。

もう一度念押ししておく。



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