私立武蔵越生高校サッカー部コーチの暴力事件の動画は、今日、ほぼすべてのニュース、ワイドショーで取り上げられ、かなりの時間を割いて紹介された。
暴行の現場が動画で紹介されたということは、ただ事ではないのだ。
この指導者は今年の1月、学校から委嘱されて外部から着任した。
元Jリーガーで、クラブ育ちの選手である。当然、ライセンスを取得していた。
サッカー協会の指導者ライセンスは、運転免許と同様、定期的に講習を受けてアップデートすることが義務付けられている。
ライセンスを持つ指導者は、サッカー界の指導方針に変化があれば、その都度、それを完全に理解していることになっている。昔にライセンスを取得した指導者であっても、最新の指導方針、理論を知っているのが前提になっている。
プレイヤーズファースト、暴力の排除などは以前からサッカー指導者に求められていたが、最近は、グラスルーツへの理解も重要だ。
これは、すべての人にサッカーの楽しみを分かつために「補欠なし」「引退なし」「身体ハンデの障害なし」を推進しようというものだ。
高校、大学、クラブの指導者は、チームの強化と選手の育成を旨とするが、同時にサッカー界のこの理念をも共有していなければならない。
しかし、青少年のサッカー界はクラブチームと学校の部活という異なる体質を持つ二つの現場をもっている。Jリーグの理念をそのまま体現するクラブと、昔ながらの学校部活の流れをくむ部活は、同じライセンスを取得した指導者であっても、考えかた、指導法は大きく異なる。
私は高校サッカー指導者にもかなり話を聞いているが、昔ながらの部活の先生というタイプの人もいれば、明らかにJリーグの理念を体現したような先生もいた。学校の現場でも、その色合いは様々だったのだ。
高体連は高野連とともに、旧態依然とした組織だ。昔は生徒を殴って指導してきたような人物がトップに降り、現場を押さえている。
体罰は、そういう体質が強い現場で温存されてきた、というのが一般的な解釈だが、今回の指導者はJリーグのプレー歴もあり、クラブチームに所属していた。つまり「新しい側」の指導者だったのだ。
その人間が、暴力という日本のサッカー界が最も強く否定していた問題行動、犯罪行為を行ったのだ。Jリーグの理念、そしてライセンスはいったい何だったのか、という強い疑念が生じる。
この指導者は今年1月に着任したが、それまでもしばしば選手に暴力をふるっていた。ゴールポストに選手の頭をぶつけることもあったという。
選手は父母は、このことを学校側に訴えたが、学校は動かず、そこで選手が隠れた場所から暴力行為をスマホで撮影したのだ。偶発的な事故ではなく、これは選手からの告発だったのだ。
この指導者の周囲に暴力を容認する雰囲気があったのは明らかだ。そしてはそれは「Jリーグ、日本サッカーの理念」のもとにあったとされるのだ。これは深刻だ。
日本のサッカーが子供や親、特に女親の支持を得ていたのは、体育会系ではなく、子ども一人一人にやさしい指導。「勝利」だけでなく個々の成長を目的とする、一人一人に優しい体質にあったはずだ。
しかし、今回の事件はそうしたサッカーにシンパシーを感じていた人たちに冷水を浴びせかけたことだろう。
今回のインパクトを考えると、こうしたスマホを使った告発は、今後も続くと思われる。サッカーだけでなく、野球や他のスポーツの指導者の問題行動も明るみに出るだろうが、サッカーは今後金輪際ない、これだけが例外的だと言い切ることはできないのではないか。
この男は頭を丸め、二度とサッカーの指導はしないと語った。自分が犯した罪が、以下にサッカー界に大きな影響を及ぼしたかを自覚しているのだろう。
この事件の意味するところの大きさを改めて認識したい。
近藤健介 vs 23人の張本勲 |バットマンレース・スピンオフ
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サッカー協会の指導者ライセンスは、運転免許と同様、定期的に講習を受けてアップデートすることが義務付けられている。
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これは、すべての人にサッカーの楽しみを分かつために「補欠なし」「引退なし」「身体ハンデの障害なし」を推進しようというものだ。
高校、大学、クラブの指導者は、チームの強化と選手の育成を旨とするが、同時にサッカー界のこの理念をも共有していなければならない。
しかし、青少年のサッカー界はクラブチームと学校の部活という異なる体質を持つ二つの現場をもっている。Jリーグの理念をそのまま体現するクラブと、昔ながらの学校部活の流れをくむ部活は、同じライセンスを取得した指導者であっても、考えかた、指導法は大きく異なる。
私は高校サッカー指導者にもかなり話を聞いているが、昔ながらの部活の先生というタイプの人もいれば、明らかにJリーグの理念を体現したような先生もいた。学校の現場でも、その色合いは様々だったのだ。
高体連は高野連とともに、旧態依然とした組織だ。昔は生徒を殴って指導してきたような人物がトップに降り、現場を押さえている。
体罰は、そういう体質が強い現場で温存されてきた、というのが一般的な解釈だが、今回の指導者はJリーグのプレー歴もあり、クラブチームに所属していた。つまり「新しい側」の指導者だったのだ。
その人間が、暴力という日本のサッカー界が最も強く否定していた問題行動、犯罪行為を行ったのだ。Jリーグの理念、そしてライセンスはいったい何だったのか、という強い疑念が生じる。
この指導者は今年1月に着任したが、それまでもしばしば選手に暴力をふるっていた。ゴールポストに選手の頭をぶつけることもあったという。
選手は父母は、このことを学校側に訴えたが、学校は動かず、そこで選手が隠れた場所から暴力行為をスマホで撮影したのだ。偶発的な事故ではなく、これは選手からの告発だったのだ。
この指導者の周囲に暴力を容認する雰囲気があったのは明らかだ。そしてはそれは「Jリーグ、日本サッカーの理念」のもとにあったとされるのだ。これは深刻だ。
日本のサッカーが子供や親、特に女親の支持を得ていたのは、体育会系ではなく、子ども一人一人にやさしい指導。「勝利」だけでなく個々の成長を目的とする、一人一人に優しい体質にあったはずだ。
しかし、今回の事件はそうしたサッカーにシンパシーを感じていた人たちに冷水を浴びせかけたことだろう。
今回のインパクトを考えると、こうしたスマホを使った告発は、今後も続くと思われる。サッカーだけでなく、野球や他のスポーツの指導者の問題行動も明るみに出るだろうが、サッカーは今後金輪際ない、これだけが例外的だと言い切ることはできないのではないか。
この男は頭を丸め、二度とサッカーの指導はしないと語った。自分が犯した罪が、以下にサッカー界に大きな影響を及ぼしたかを自覚しているのだろう。
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いくら日本サッカー界が体罰撲滅を訴えだして浸透させようとしても、殴られて育成された人間がいなくならない限り、上にやられてきた事を、上の立場になり下にやるという連鎖は無くならないと思えてくる。
後ろ向きな期待だが、ゆとり世代の典型な指導者だけになる時を待つしかない。
ちなみに当該コーチは、厳密に言うとJリーグでのプレー経験はなく、北海道の社会人リーグ2年に、秋田と金沢のJFLにそれぞれ1年。