サッカー協会が今回の体罰、というより暴力行為についてどのような対応をするのかは、今後、直接聞いてみたいと思う。その対応の仕方もサッカーと野球では異なると思われるからだ。

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野球界では、名のある指導者は、普通に選手を殴っていた。
「あの監督は一度も選手を殴ったことがない」のが、美談としてつたわるくらいだ。
アメリカ人が撮った映画「KOKOYAKYU」で、智辯和歌山の選手が、高嶋監督を「僕のことを思ってくれているから、怒られても、どつかれてもついていく」と語っている。これをカットせずに使っているのは偶然ではないだろう。

現役の監督も、ほとんどが選手を殴った経験を持っている。中には問題になって一時職を辞して、ほとぼりが醒めて戻ってきた監督もいる。
そういうケースでは、父母から「復帰嘆願」の署名が上がって、学校側がそれにほだされて復帰させる形をとっている。仕組まれているような気もするが、暴力をふるうような指導者を「熱心でいい先生だ」とする親がいるのも事実だ。

選手への暴行を「暴力」とはとらえず、「体罰」「始動」と言い換えることで、正当化する文化が日本には蔓延している。戦前の軍隊の残滓を引きずっているのだろう。
学校内で生徒を殴れば「体罰」「教育の一環」、学校外で一般人を殴れば「暴行」「犯罪」。だとすれな、学校内は基本的人権が守られていないことになる。

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こういう体質は、高校野球だけではなく、高校の部活全体に蔓延している。
大阪府立桜ノ宮高校のバスケ部のキャプテンは、指導者から執拗な暴行を受けた挙句自殺したが、謝罪に来た部長と校長ははじめ「次の全国大会に出場させてほしい」と言った。
気がふれているとしか思えないが、学校という閉鎖社会は、ここまで一般社会と遊離しているのだ。

高校の部活で有名な教師の多くは、非常に態度が大きい。「おい煙草」と選手や若い指導者に灰皿を持ってこさせたり、話をしている最中、直立不動で待機させたりする。
こういう風景は、一般の企業では見ることができない。他には暴力団の事務所か相撲部屋くらいである。それらとの共通点が「暴力で下のものを抑えつけている」のだとすれば、悲しいことである。
指導者や部活関係者には何でもないことかもしれないが、何も知らない人はそれだけで引いてしまう。

サッカー界はこうした旧弊を破るために、Jリーグから幼児のサッカー教室まで、ライセンスという形で指導方針を一貫し、人心も一新したはずだった。
サッカー界は「うちは野球とは違う」という自負があったと思うが、先進的なサッカーでさえも、部活の悪弊が払しょくできなかった。
しかも暴力男は、学校サッカーではなくクラブサッカー出身だった。要するに、クラブにも腐敗因子が残存しているということなのだ。

私は「野球離れ」と「部活の問題」は密接にかかわっていると思う。この部分の取材をしているが、「サッカーと学校部活」もテーマとして調べていこうと考えている。


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