「野球崩壊」の販売部数は、大したことがなかった。版元には申し訳なく思うが、ただ粒よりの読者を得たことだけは間違いない。

NPB球団の関係者が多数読んでくださった。高校野球の指導者も、独立リーグ関係者も、筒香嘉智選手も読んだとのことだ。

今年になって少年野球の現場を取材すると、危機感を持った指導者たちが急速に手を打ち始めていることもわかった。
それまでのように「ユニフォームを着て、グラブを持った」小学生を相手にするのではない。
もっと低年齢で、野球とは何かさえ理解できないような幼児に、ストラックアウトのまねごとや、ティーボールもさせている。
明日、私は埼玉で西武ライオンズなど埼玉の4球団が主催するそうしたイベントの取材をする。

また高知では、ユニフォームを着た小学生の大会の前に、幼児向けイベントをやるようになった。これも取材した。

高知の少年野球の理事長は、成果はどんどん上がっているという。これまで減少する一方だった少年野球人口が、下げ止まり、地域によっては上昇に転じているという。

喜ばしい話だと思う。
これまで何もしてこなかったのだから、子供たちに野球の魅力を伝える取り組みは、干天の慈雨のように沁みとおっていくのかもしれない。

もちろん、ちょっと増えたからと言って、油断は禁物だ。同じような取り組みを、サッカーもバスケもやっている。そうした活動では、彼らの方が先輩だ。
サッカーなどは20年も続けている。継続的にやっていかねばならない。

ではあるのだが、高知で取材をしていて、はっと気づかされたことがある。
少年野球の指導をしている父親、地元の新聞社勤務でもあるのだが、彼は子供を少年野球チームに入れた。たちまち野球に夢中になって、毎日のように練習、試合に出るようになった。
しかし父親は語るのである。
「僕らのころは、公園や空き地でやわらかいボールを使って三角ベースとかしましたよね。そういう段階で野球が大好きになって、それから軟式野球をやったんですが、うちの息子はその段階がなくて、すぐに競技をやり始めた。しかたがないけど、これもご時世ですね」

確かにそうなのだ。私が最初に野球ごっこをしたのは、小学校の廊下だった。掃除の時間にモップをバットにして雑巾を打つ「野球ごっこ」をしたのが始まりだった。
このころの子供は、小さな時間と場所を見つけて「野球ごっこ」をした。道具も、人数もどうでもよかった。校庭でも、横丁の路地でも、家の廊下でも、病院の待合室でも。「やめなさい!」という大人の声を背中に浴びて「野球ごっこ」をしたものだ。
テレビで見た好きな野球選手の格好をまねて、ぼうっきれを振り回し、丸いものを投げていたのだ。

それに飽き足らなくなって、親にグラブやバットを買ってもらい、友人の父親が指導者の野球チームに入ったのだ。
競技としての野球を始めた時には、もう十分に「野球好き」だったのだ。
私は競技としての野球はほんの少ししか知らない。しかし中学でも高校でも、休み時間には校庭でやわらかいボールを使って野球ごっこをしていた。

今、40歳くらいまでの男性は圧倒的に「野球好き」だと思うが、その大半は私のような経験を経てそうなったのではないか。
全盛期でさえ、少年野球から高校野球までを合わせても、野球の競技人口は80万人程度だった。小1から高3までの男の子は600万人以上いたから、少数派でしかなかったのだ。
他の「野球好き」は「野球ごっこ」あがりではないのか?

今の幼児に対するアプローチが、「野球ごっこ」を奨励するものなのか、「競技としての野球」につながるものなのかはよくわからない。

しかし野球界の大人の頭にあるのは「競技としての野球」ではないかと思う。その取り組みは非常に重要ではあるが、それだけでいいのか、という疑問が生じている。
読者各位の意見を聞きたいところだ。

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