ついこの間再放送された「球辞苑~プロ野球が100倍楽しくなるキーワードたち~『左殺し』」に出演していた。
本放送は2月だった。
永射は、ほとんど唯一のサイドスローの左腕として、身振りを交えて投球術を語っていた。自分が経営するスナック「サウスポー」での収録だったが、永射の顔には、分厚くドーランが塗られ、唇にも赤い色が差されているようで、かなり違和感があった。

おそらくは、癌のために顔色が悪くなっていたのだろう。元気そうに話していたが、相当厳しい状況だったのだ。まだ63歳、無念だっただろう。

キャリアSTATS

T-Nagai


指宿商からドラフト3位で広島に。
広島では活躍できなかったが、トレードで太平洋に映ってから頭角を現す。
広島時代にサイドスローに変えていたが、それに磨きがかかったのだ。
1977年には先発、救援で9勝6セーブ、唯一の規定投球回数入りを果たす。

長谷川晶一さんの「極貧球団」によれば、この時期、オフには身分を隠してアルバイトで自衛隊に勤務し、優秀だったために本雇になりそうになったとのことだ。



太平洋という球団は、監督でさえも1000万円をもらっていなかった。さもありなんというエピソードだ。

西武ライオンズになってからは、まさに「左殺し」として重用された。
ワンポイントのような印象があったが、数字を見ると長いイニングを結構投げている。右打者にも通用したのだろう。外国人打者にも強かった。

大阪球場でよく見たが、アンダースローに近い印象があった。制球は抜群で、流れるようなフォームから打者の懐を攻めていた。

大洋、ダイエーと移籍して引退。19年という長いキャリアだった。

わりとビッグマウスで、いろいろなエピソードを振りまいた。野球の奥深さ、面白さを象徴する一人だったと思う。


衣笠祥雄、全本塁打一覧(前編・1965~1974)|本塁打大全

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