最近、いろいろな元野球選手、野球人と話をするようになった。野球界の危機について認識がない人は一人もいない。みんな「えらいことが起こっている」というのだが、その中で「このままいけば野球の競技レベルが下がる」という危惧を口にする人が結構いる。
その背景には、子供たちの運動能力が低下していることがある。
野球の基本である「走る」「投げる」「打つ」能力は軒並み下落している。特に「投げる」は深刻で、ソフトボール投げの記録は2015年時点で7年前から5mも減って22.5mになったという。

そういう形で子供たちの運動能力が落ちているから、これまで当たり前にできた野球のプレーもできなくなっている。ゴロをとる、送球する、受けるなどができない子供がたくさんいる。

昔の野球を知る指導者は、そういう状況に焦燥感を覚えるようだ。
このままいくと、野球そのもののレベルが下がってしまう。
だから「できる子を選抜して、高い技術を身につけさせたい」という理屈になる。

違和感がある。
つまりそういう野球人、指導者は
「野球の技術レベルを維持するために、子供の指導をする」ということなのだ。

前提としては、プロやアマチュア野球の「高いレベルをいじするため」
そして、オリンピックやWBC、国際大会などで「日本が良い成績を上げるため」

面と向かって言うことはないが、私は、
「野球危機は、そんなレベルの問題を突き抜けるくらい、深刻な状態になっている」
と考えている。

「野球のレベルが落ちる」ではなく、野球そのものがマイナースポーツに「落ちる」危機に瀕している。

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日本のスポーツ界はもともと「エリートを作って国際大会で活躍させて、世界に自慢したい」という目的で発展してきた。いい言葉でいえば「国威発揚」だが、くだらない目的だと思う。北朝鮮のミサイルだって「国威発揚」である。

本当の意味の「国威発揚」とは、日本国民の生活レベルが高く、憲法に示された「健康で文化的な生活」が、他国よりも高い水準で実現されていることではないかと思う。

金メダルを取るだけなら、どれだけ貧富の差があろうと、生活水準が低くても、一握りの子供をサーカスのように調教して仕込めばできることなのだ。中国だってロシアだって、昔の東欧だって、そうやってステートアマを作ってきた。その真似などしなくていい。

多くの子供を競り合わせて才能があるのを見つけて、純粋培養で育ててスポーツエリートを作る。野球などまさにそういう姿勢で発展してきたが、それがどれだけ国民の「健康で文化的な生活」に寄与したか大いに疑問だ。

「野球危機」「野球離れ」がそろそろ顕在化する中で、我々は「技術が落ちる」「エリートがいなくなる」ことを憂うのではなくて、技術が低くても「野球が好き」で、野球で「生活を豊かにする」ような愛好者を増やすことを第一に考えるべきではないか。

今のような「一将功なりて万骨枯る」を良しとするような在り方では、もうこの国に野球も他のスポーツも必要ないと思う。

少々みっともない野球をする子しかいなくても、その子たちが増えてくれる方がずっといい。へたくそを排除せず、仲間に入れていけばすそ野は広がる。
すそ野が広がれば「技術」はあとからついてくるのだ。

「野球の進化」の方向性を見直すべき時期、パラダイムシフトを起こすべき時期が来ている。

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