最近のプロ野球は試合以外のセレモニーがずいぶん多くなった。衣が分厚い天ぷらみたいに。
ダイエー・ホークスの高塚猛社長が唱えたように、野球場へ行く目的は「試合観戦」から「家族みんなでいろいろ楽しむ」に変化する中で、さまざまなイベントやセレモニーが付加されるようになった。
引退選手のセレモニーは格好のネタであって、お涙頂戴イベントになる。

それにしても、始球式がいくつもあったり、子供が出て踊ったり、ゆるキャラが何かしたり、そんなのを延々見て面白いのかと思うが、いろいろ続くのだ。
スポンサーの関係でどうしようもないのだろうが、もう少しスマートな形はないのかと思う。

大した実績のない選手の引退セレモニー、私などは恥ずかしくて仕方がない。さっさと終わればいいのにと思うが、長々と続いて、選手や周囲が涙を流したりする。場内も拍手である。こういうの好きな人多いのだなとつくづく思う。
マッカーサーではないが、「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」でよいのはないかと思う。

「感動」という言葉でいえば、私には他者が商業目的で「感動させてやろう」という目的でおぜん立てされた演出を真に受けて、易々と感動する人の気が知れない。
「引退セレモニー」などその最たるものだが、誰でも言いそうな言葉、どこにでもありそうな演出で、感動するような「安さ」「素直さ」にはあきれるばかりだ。

スタジアムには銭だけでなく、確かに「感動」も埋まっている。しかしそれは、誰かに与えてもらうものではなく、自分で見つけるものだと思う。

気になる選手、気になるチームに照準をロックさせ、小さな素振りや表情をとらえるのもいい。観客席の変わったお客をチェックしてもいい。そういう「気になる対象」が、試合が始まり、ゲームが動くとともにどう変わっていくかを見てもよい。
「気になる対象」が移ろってももちろん構わない。しかし、あくまで自分の感性だけを信じて野球を、選手を凝視するのだ。

最近、私はオリックスの大城という若い選手に注目している。この選手は二軍時代から見ているが、おそらくはあがり症なのだろう。打席では必ず両肩をぐっと持ち上げて落とすそぶりを見せる。
緊張を和らげようとしているのではないかと思う。
最近は遊撃、2番でスタメン出場することが多くなったが、このそぶりがだんだん小さくなってきている。おそらく、一軍の試合に慣れてきたのだろう。
こういう選手が大成するとともに、どんなそぶりをする選手になっていくのか、私だけの(と勝手に思っている)楽しみだ。

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選手の引退でいえば、大打者中西太の引退は本当に寂しいものだった。1969年の最終戦、黒い霧事件の最中に中西はシーズン最終戦を終えて兼任監督を辞して、そのまま選手も引退したのだ。
私は見ていないが、それを記事にした記者がいた。そういう視点はかけがえがないと思う。

ひとりでも多くの人が「自分だけの野球」を見つけることを心がければ、ごてごてしたイベントや、余計な引退セレモニーがなくても、野球は面白くなるし、野球ファンは増え続けると思うのだが。



7人の打者 vs 23人の張本勲 |バットマンレース・スピンオフ/a>

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