日本野球独特の「坊主頭」には、明らかに「仏教」の影響がみられる。
一般的に仏教では、修行中の者=比丘、僧侶は、頭髪をそり上げることになっている。
「頭髪」は、「俗世」の象徴であり、セックスのサインでもある。頭髪をなくすことは、俗世から遠ざかること、とりわけ性的コミュニケーションを断つことを意味していた。

仏教の戒律を「五戒」というが、「坊主頭」は、不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒という5つの戒めを守ることのサインでもあった。

それは日本だけでなく、世界の仏教共通の戒律だった。

IMG_9488


しかしながら日本では中世以降、仏教の広がりとともに「五戒」は、有名無実化する。
浄土真宗は「半僧」の立場であり、開祖親鸞以降、僧侶の妻帯が公認されるが、他の宗派でも「五戒」は守られなくなった。
織田信長が比叡山を焼き討ちし、全山の住人を鏖にしたのはこうした僧侶の欺瞞に怒ったからだとされる。聖なる山比叡山には、多数の女性、子供のほか、遊女もいたが、ことごとく虐殺されたという。
江戸時代以降、寺院は幕府権力の出先機関として庇護を受けるが、世俗にどっぷりつかりながら「聖職」の特権を受けるようになる。

明治以降も、寺院、僧侶は聖職のステイタスを維持しつつ、一般人と何ら変わらない生活を続けてきた。
「坊主頭」は、聖職のサインであるとともに、仏教界、宗派のヒエラルキーの一員であることを意味していた。

IMG_8622


現在も僧侶は、絶対的な師弟関係、上下関係で縛られている。師匠のためには命を投げ出す、法臘(仏教のキャリア)が1年違えば絶対服従。
同時に、さまざまな「戒律」も、仲間内で公認されればそれを破ることも看過される。身内だけに通じる論理で、仲間を縛り付けているのだ。

日本の仏教は、世界でも例を見ない多様性があり、高度に発展している。しかし「五戒」の解釈や僧侶の行動面では、いまだに異端視されている事実もある。

高校野球の「坊主頭」は、まさに僧侶の「坊主頭」と同じシグネチャーだと言える。
修行中の身の「純粋さ」「禁欲」「ひたむきさ」の象徴でありながら、実質的には閉鎖的な集団の一員であることを意味し、「野球さえすれば、あとは何でもあり」を意味している。

高校野球指導者の中には、僧籍を持つ人も多いが、高校野球の「坊主頭」は、日本の僧侶にまとわりつく「欺瞞性」と同様のうさん臭さをもっている。

そのことを考えても、「坊主頭」からの開放こそが、高校野球改革の大きなポイントになっていると言えるだろう。




ボビー・マルカーノ、本塁打大全


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!