「一球入魂」の飛田穂州に端を発して、日本の野球は疑似的な「武士道」として発展してきた。
日本の野球が胚胎する年長にたいする絶対的な服従、師弟関係の厳しさ、勝利至上主義、エリート主義、練習に対する信仰などは、明治期に発展した武士道と同じである。

本来ならば楽しさが横溢するスポーツであるはずの「野球」をここまで重苦しくしたのは、飛田以来の学生野球の指導者だ。
「野球はスポーツではない、武士道だ」「遊びではない、修行だ」という価値基準の置き換えによって、野球は戦前の軍国主義の中も生き残ることができた。

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戦後、アメリカを中心とする連合国に占領された日本では、戦後政策の一環として「野球による民主化」路線がとられた。
野球は占領軍の後押しを得て急速に発展したが、その中身は戦前の「野球道」そのものだった。
「自由」「開放感」の象徴である野球が、日本では「抑圧」「閉鎖性」の権化となっていたのだが、その部分に改革の手が入ることはなかった。

結果的に少年硬式野球、高校、大学野球、プロ野球、実業団野球とつながる野球のエリートコースは、戦前そのままの「野球道」が主流となっていた。

しかし一方で、終戦後、アメリカの進駐軍がバットやボールをばらまいたことから、新しい野球の流れも生まれていた。
それが「野球ごっこ」だ。当時の日本には空襲によって焼野原がたくさんあった。そういう空き地で子供たちは棒切れを振り回し、三角ベースなどの「野球ごっこ」を始めたのだ。
そのブームは瞬く間に全国的なものになった。

ブームの広がりを助長したのは「野球漫画」だった。自分たちと変わらない年恰好の子供たちがヒーローとして活躍する。
そういう野球漫画に子供たちは夢中になった。1958年に長嶋茂雄が巨人に入団すると、今度は長嶋茂雄が子供たちのヒーローになった。
普及し始めたテレビで長嶋を見た子供は、そのフォームを真似し、背番号3に夢中になった。

今に至る野球ファンの系譜は、「野球ごっこ」によるものだった。

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しかしプロ野球やアマのトップレベルでプレーする選手の中には「野球ごっこ」の経験がないか、あっても乏しい人が多かった。彼らは「野球道」のヒエラルキーの中の住人であり、「野球ごっこ」でそだった野球ファンとは異質だった。

「野球道」育ちの競技者と、「野球ごっこ」育ちの野球ファン、このかい離を象徴するのが野球漫画だ。
野球漫画でも「甲子園」は大きなテーマだが、野球漫画で描かれる高校球児は、丸坊主ではない。また監督や先輩に絶対服従でもない。自己主張が強く、常にいさかいを起こしながらヒーローにのし上がっていく。
「野球漫画」には「野球道」の要素はないか、あっても極めて微量だったのだ。

「野球危機」と言えば、「野球道」の流れをくむ競技人口の減少が大きな問題だとされるが、それと並行して「野球ごっこ」育ちの野球ファンも減少している。

マーケットのことを考えれば、そのほうがより深刻だ。そのことは押さえておきたい。



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