"スマイリング・スタン"と言われたカブス一筋の名三塁手。
1909年12月生まれ。同い年にメル・オットー、ビリー・ハーマン、メル・ハーダー、日本では中島治康、カイザー田中。

サクラメント高を卒業後、父と同じ銀行マンとなり、週末はセミプロで野球をするが、地元サクラメントのAAパシフィック・コーストリーグ(PCL)のセネタースの目に留まり、入団する。

キャリアSTATS

Stan Hack


大恐慌の時期でもあり、PCLは選手をメジャー球団に売却。ハックもカブスに譲渡される。

1933年はウッディ・イングリッシュが三塁を守ったためAAのアルバニーに送られる。
この時期、有名なテニス選手だったドロシー・ワイゼルと結婚。ドロシーは1932年のウエスタン・アンド・サザン・オープンに優勝するなど、この時期は妻の方が有名だったが、1935年にレギュラーとなってからは、夫の方がスターになる。

ハンサム、明るい円満な性格で、"スマイリング・スタン"と言われ人気者となる。

1938年にはヤンキースとのワールドシリーズで.471をマーク。

低い数字だが盗塁王を2回、首位打者を2回。

長打は少なく、1番を打つことが多かった。しかしクラッチヒッターで打点が多かった。いわゆるスプレーヒッターで、グランドを広く使った打者と言われた。

第二次世界大戦がはじまり、多くの選手が兵役に就く中、スタンは32歳になっていたので徴兵されず、プレーを続ける。

1943年初めに監督ジミー・ウィルソンとの不仲から一時期退団するが、ウィルソンが解雇され、チャーリー・グリムが監督になると呼び戻されプレーを続ける。

1945年のタイガースとのワールドシリーズでも打率.361と大活躍する。世界一にはなれなかったが、ワールドシリーズには4回出場した。

戦争が終わって選手が続々復員してくる中、1947年9月に引退。チームは功績をたたえて車を送った。

引退後は指導者として活躍。1954年からカブスを率いる。
監督成績。

Stan Hack MNG


監督としては活躍できなかったが、引退後は悠々自適の人生を送った。



1968年のセ・リーグ投手陣 リリーフ詳細版


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!