村田修一の話がここまで長引くとは思わなかったけれど、結局、この話はプレイヤーズ・ファーストに行きつくと思う。

プレイヤーズ・ファーストは、サッカー界で言われる言葉だ。
主として子供たちに、サッカーを存分に楽しませる環境を与えること、そしてその環境でサッカーを深く理解し、楽しむことができるような指導をすることを主眼としている。
勝利を追求し、高みを目指す子供には、レベルの高い指導を、楽しみでサッカーをする子供には、楽しみを深める指導をする。
どんなレベルであれ、サッカーを生涯の友として愛好するようなプレイヤーを育成するのが大事だということだ。

チームの勝利や、母校、郷里の栄誉、指導者の栄達などは、プレイヤーの自己実現に比べれば重要ではない。あくまでプレイヤーのことを第一に考えるということだ。

サッカーはこの考えを徹底させることで、競技人口を増やし、選手の満足度を高めた。

野球は全く逆の考え方をしていた。選手は先輩、指導者に絶対服従。母校、郷土の栄冠のために「滅私奉公」、勝つためなら自分をも犠牲にする。
そういう考え方は、多くの競技者を排除し、理不尽なまでの階級社会を形成させた。
今、野球が多くの人から嫌われ、忌避されつつあるのは「勝ったものが偉い」「強いものが上」という救いがたい時代錯誤が露呈しているからだ。

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野球だけでなく、日本のスポーツ界は時代錯誤の塊だ。海外遠征の際に、指導者や役員がビジネスクラスに乗って、選手はエコノミーで移動、とか、選手が指導者の身の回りの世話をするなど、今どき考えられないおかしな慣行がまかり通っている。

スポーツの本質が「プレイヤーズファースト」であることを前提にすれば、多くの問題は見えてくるのではないか。

村田修一の話でいえば、彼は類まれな能力と身体をもったプレイヤーであり、高みを目指して努力を続け、好成績を上げてきた。
そのことをまず評価する。野球はチームスポーツだから、選手の活躍の結果としてチームが勝てば、それは選手の評価を高めるが、負けたからと言ってその選手が不当に貶められることがあってはならない。
言い方を変えれば、チームの勝利のために、選手がプレーする機会が失われることがあってはならない。
実力が劣る、適性がない、不振が続いているなどの原因があって、選手が出場機会を奪われるのは当然の帰結だが、チームの事情、会社の都合で、チャンスが削られることはあってはならない。
それはプレイヤーズファーストにもとる。

ファンの中には「チームが勝つためには選手が犠牲になるべきだ」という人もいる。個人がそういう意見を持つのはかまわないが、私はその立場に与しない。
特にプロスポーツという高みにおいては、常人にできないプレーで実績を積み重ねてきた選手にプレーの機会を与え、最大限のパフォーマンスをさせることが一番重要だと考える。

そのことに比べれば、チームの勝利や指導者の栄達などは、大した問題ではないと思う。
プレイヤーズファーストが大事にされる前提があって、チームの勝利もあると思う。
「一将功なりて万骨枯る」は、スポーツではないし、何ら称えられるべき面もないと思っている。

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