大卒で初めてMLBでプレーした選手の一人。好打の一塁手だった。
1871年11月生まれ。同い年にジョー・ケリー、ジョー・マッギニティ、エイモス・ルジー。
日本では明治4年。

9歳で野球をはじめ、一次マイナーリーグでプレーをしたのち、1893年にブラウン大学へ、左の捕手だったという。有名選手となり、ボストン・ビーンイーターズ(のちのブレーブス)にスカウトされる。

キャリアSTATS

F-Tenny


1894年6月の試合、左利きの捕手としてプレーして指先を骨折。

怪我から復帰後外野を守ることが多くなり、1896年からは一塁も守るようになる。1897年にはトム・タッカーに代わって正一塁手に。

シュアな打撃、足が速く、犠打も巧み。また一塁守備も堅実で20世紀初頭の代表的な一塁手の一人となる。

1905年にはプレイングマネージャーとなる。しかし成績はパッとせず。

監督在任中にテニ―は、黒人選手のウィリアム・クラレンス・マシューズと契約しようとしたことでも知られている。

1908年にはレッズから移籍した同い年のジョー・ケリーに監督の座を譲り、大型トレードでジャイアンツに移籍する。

2シーズンをプレーするが、1910年にはジャイアンツをリリースされ、マイナーリーグのローウェル・タイガースのプレイングマネージャーに。

1911年にはプレイングマネージャーとしてボストン(ニックネームはラストラーズに変わる)に復帰。しかし、またパッとせず。
監督成績。

F-TennyMNG


2年契約だったが、1年で契約を解除され引退。

1916年にマイナーのニューアークで一時期プレーした。

引退後は保険会社で勤めた後、ニューヨークタイムスにも在籍。殿堂入りはならず、1952年に死去した。



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