読者氏から教えていただいた山本一郎さんの記事の元記事。
手首を骨折していても本塁打 前橋育英、信頼応えた4番
朝日はまだこんな報道をしているのか、と思う。あきれるばかりだ。
山本一郎さんの記事

朝日新聞「手首を骨折しても本塁打」美談報道と前橋育英の問題の根深さ

良識ある人なら、こういう指摘になるだろう。

高校野球は「部活」であり、「教育の一環」であるはずだ。
だとすれば、指導者が第一に気にかけるべきは「生徒の安全」だ。生徒に危険が及ぶことがないか、入念にチェックをしたうえで、競技や練習をさせなければならない。

前橋育英の飯島大夢は、5月の関東大会で死球を受けて左手を骨折した。試合前日に
約2週間ぶりに打撃練習した。「緩い球で、軽く当てる程度」で約10スイング。痛みが全く消えていなくて、びっくりした。

完全にアウトだろう。骨折の治癒期間は状態によって異なるが、傷みが全く消えていないのなら、完治には程遠い、これで試合に出ることは考えられない。

監督が取るべき判断はただ一つ。欠場させることだ。

しかし
それでも、試合になれば「4番サード」に名前がある。5月の関東大会で死球を受けてから、ほとんど練習できていないのはみんな分かっている。打つことが期待されているわけではない。「仲間からの信頼がある。そこ(4番)にいることが大事」と荒井監督。

骨折が完治していない生徒を試合に出場させることが間違っているのは議論の余地がない。

スポーツはコンディションが万全な選手によって行われるのが大前提だ。風邪気味などのグレーゾーンでは判断が分かれるが、骨折した部位に痛みが残っている状態で、硬式野球の試合に出場することは考えられない。

監督は「本人が希望している」と言うだろうが、それを峻拒するのが教育者であり、スポーツ指導者というものだ。

プレイヤーズファーストは、サッカーで生まれスポーツの普遍の理念になろうとしている。
スポーツにおいては、アスリートが存分に力を発揮できることが一番であって、指導者や主催者、ファン、観客などの意向よりも優先されるというものだ。
しかし、それはプレイヤーの意向を無条件に求めるということではない。
選手が生涯にわたって健全にプレーができるように、指導者や周囲は、環境面、健康面で配慮しなければならない。

「甲子園」は大きな大会だろうが、野球はここで終わるわけではない。「燃え尽きたい」と本人が言ったとしても、それを絶対にさせないのが野球指導者だ。

「勇気ある撤退」こそが、指導者の唯一の選択肢だった。

そうした理屈が、まだ甲子園に行くような名門校の指導者の頭にない。生徒を怪我を押して試合に出場させるのが「教育」だと思っている。

その背景には甲子園が、校名を上げ、アピールをする好機であること、生徒にとってもキャリアに箔をつける最大の機会であることがある。
しかしそれは「利権」のようなものであり、スポーツではない。

新聞社も含めた多くの人々は、この愚行を礼賛している。
「民度が低い」とは、こういうことだと思う。メディアの問題については稿を改める。

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