昨日の仙台育英、大阪桐蔭戦もそうだが、野球というスポーツは「融点」が非常に低い。
私は8月17日まで西武ドームにいたが、17日の試合では0-0の9回に代打栗山巧がサヨナラ3ラン、このときも場内がひっくり返るような騒ぎになった。

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野球は実力が近い対戦になると、接戦になってどんどん試合が盛り上がる。実力以上の好プレーが出て選手自身も乗るし、観客席も盛り上がる。球場全体が盛り上がり、異様な雰囲気になる。

観客が感情移入しやすいのも野球の特色だ。野球は一つ一つのプレーの後に小休止がある。その時間に、選手も観衆も「立ち止まる」ことができる。さまざまな思い入れを込めることができる。

昨日の仙台育英-大阪桐蔭戦の最後のシーンであれば、
「9回二死満塁で控えの馬目か、ここで安打が出たらえらいことになるな」
「ベースを踏み忘れた一塁の中川は、今、どきどきしているだろうな」
「前進守備の外野陣は、絶対バックホームしてやろうと思っているだろうな」

8月17日の西武-楽天戦の9回でいえば
「外崎に外野のレギュラーを奪われた栗山にとって、意地を見せる場面だな」
「楽天、梨田監督は、3連敗は阻止したいと思っているだろうな」

解説者でなくともそうした状況整理、場面説明をする時間、「ため」があって、その直後に「答え」が出るのだ。

サッカーやバレーボールなど、プレーがなかなか止まらないスポーツでは、こうした「ため」はない。試合を見慣れた人は、動きの中でもそうした状況説明を頭に描きながら見ることができるが、そうでない人にはゴールなどの重要なシーンが「突然やってくる」。
それでも盛り上がるが、サッカーやバレーボールは、野球とは異質のスポーツだということがわかる。

ロバート・ホワイティングは野球と相撲の類似性を指摘したが、短時間のプレーの合間にたっぷり時間があるという構成は確かに相撲に似ている。
ともに、観客席が感情移入がしやすい点でも共通している。さらに言えば、それほど競技に詳しくないファンでもすぐに、熱中できる点も。

そういう特性がある野球はすぐに「スポーツ」を超えて、なにがしかの「ドラマ」に昇華してしまうのだ。「人間ドラマ」「青春ドラマ」「郷土愛のドラマ」。
わかりやすさと、融点の低さで、簡単に「たかがスポーツ」を超えてしまうのだ。

甲子園は、そういう野球の特性を最大限に引き出したイベントだ。ただでさえも融点が低く、すぐにメルトダウンしてしまう高校野球を、炎天下の日中に、大観衆の前でやる。
ドラマは必然的に起こる。それを見た人々は「野球を超えた何か大変なもの」を見た、周囲と「共有した」と思う。そして、この一瞬のために「すべてをささげる」ことを崇高な行為だと思ってしまう。

それは興行的、エンタメ的には空前の成功ではある。プロ野球であれば何の問題もないが、たかが高校生の「部活」の全国大会が、ここまで盛り上がることは、大きな負の側面もはらんでしまう。

冷静に考えれば18歳までに終わってしまう「甲子園」のために、その後の人生を無駄にしても良いとか、野球ができなくなっても良いとかいうのは、あり得ないことだ。

ファンや観客はともかく、この異常なステージに選手を送り出す指導者、親は甲子園の「その後」を考え、子供の将来を考えて、冷静な部分を持ち合わせないといけないだろう。

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2004年岩瀬仁紀、全登板成績


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