当サイトは「贔屓の引き倒し」には与しませんと書いているが、つまるところ、ファンは「贔屓の引き倒し」をした時点で、フーリガンに続く道を歩み始めたのではないかと思う。
※厳密にはフーリガンはサッカー用語だが、ここではフーリガンと同様の行いをする野球ファンという意味で用いる。

ファンとは「熱狂」という意味だ。贔屓のチームの試合に文字通り「熱狂」し、勝てば大喜びする。また選手への贔屓もあって、お目当ての選手が活躍すればわがことのように喜ぶ。
野球だけでなく、スポーツはそういうファンの存在に支えられている。
入場料やグッズなどの販売によって経済的に支えられているほか、大きな声援によってメンタル的にも力づけられる。
MLBの投手は、大観衆のメジャーで投げるときと、マイナーで投げる時では球速が違うことがあるという。こういう部分にもファンが実際のプレーに与える影響が端的に持て取れる。

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しかしながら、ファンは時として逸脱する。チームを応援し、勝って喜ぶだけでは飽き足らず、ネガティブな言動をすることがある。

ポイントは、贔屓が負けた時である。ファンは、残念に思うが、贔屓チームの健闘を称え、相手チームにも称賛の拍手を送るのが本筋だ。
しかし、中には勝った相手チームに罵声を浴びせたり、負けた贔屓チームを罵倒したりするファンがいる。
スポーツでは勝敗は時の運であり、特にリーグ戦は勝ったり負けたりしながら推移するが、それが理解できないファンは、目の前の試合で負けたことで贔屓を責め、相手を攻撃するのだ。
そういうファンの中には、暴力や破壊行為に走るものもいる。こうなればフーリガンだ。

こうした逸脱したファンの心理には、スポーツ以外の要因が絡んでいる。
1960年代後半、福岡、平和台球場のファンは荒れに荒れた。子供を連れていくところではないとまで言われた。
西鉄ライオンズが落ち目になったからではあるが、同時にライオンズファンのかなりの部分を占めた炭鉱労働者が、石炭から石油へのエネルギー転換によって廃坑、縮小の憂き目にあい、将来の不安にさいなまれていたことが大きい。鬱々として楽しまない気持ちを、弱いライオンズにぶつけていたのだ。
いわば、ライオンズにかこつけて男たちは、憂さ晴らしをしていたのだ。

ヨーロッパのフーリガンの背景にも、雇用不安など社会のひずみがあると言われる。だからと言ってスポーツの現場で憂さ晴らしをするのはみっともないし、許される話ではないが、スポーツはそういう形で社会と切り結んでいるのだ。

ただ、あまりにも不甲斐ない試合をしたひいきチームに対し、ファンがブーイングを浴びせる行為は認められるだろう。敢闘精神に欠ける、無気力だ、あるいはフロントが選手を補強しないなどの際に、ファンは選手やチームの背信を感じ取り、抗議をする、行き過ぎはダメだが一定の範囲で認められるとは思う。

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日本の野球ファンには「フーリガン化」の兆しは見えない。昔の荒っぽいファンは球団によるファンの管理、「ファンクラブ」の組織化によって姿を消した。中日ドラゴンズのように反社会勢力と決別するために、応援団を解散させた例も出ている。今の日本社会が比較的安定していることもあって、ファンは概ね平穏で健全だ。

しかし「野球離れ」が確実に進行する中で、ファンには「自分のチームさえ勝てばそれでよい」という認識ではなく、「野球の繁栄あっての我がチーム」という認識が求められるところだ。

野球界、リーグが健全でなければ、贔屓チームも存在しえないのだ。
多くのファンは今もそうだろうが、「贔屓チームのファン」はすべからく「野球ファン」であってほしい。




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