>野球という競技を愛し、その中の広島なり阪神を応援するのではなく、広島さえよければよい、阪神が勝てばそれでいいというファンは、あえて言うが「二流」である。
というのはあくまで私の意見だ。別にそう思わない人がいてもかまわないが、なぜそう思うのかを説明しておく。
私の場合、1988年限りで南海ホークスが消滅してからは、野球の試合を見に行くときには、どちらが勝ってもうれしい、試合そのものを楽しみに行くのが、建前だ。
しかし、それでも、どちらかに肩入れしてみてしまう。それが人情というものだし、その方が楽しいというのも一面の真実だ。
関西人だが、阪神戦では相手チームを応援する。巨人戦も同様。高校野球でも甲子園では大阪桐蔭の相手校を応援したりする。
弱い方、人気がない方、勝った方が面白いと思う方を応援する。
しかしその傾きはわずかであって、応援しないほうのチームに好プレーが出れば拍手喝采する。その程度のことである。
どこかのファンの人と一緒に行くときでも、私の周囲にはかんかんになって一方を応援する人はそんなにいない。贔屓チームが負けたも「いやー、やられましたな」という程度の惜しがり方だ。
好プレーについては敵味方なく、「あれは凄かった」と讃えあう。そういう話がよろしい。
しかしかんかんにチームを応援する人とでは、そうはいかない。
相手チームの選手の好プレーについて話すと
「あいつは、前の試合ではエラーしてたのに、よりによってうちの試合でファインプレーしやがって」みたいなことを憎々しげに言う。
そういうファンにとって「相手チームのファインプレー」は一種の負の「記号」であって、そのプレーの見事さには、目が向いていないということになる。もったいない話である。
私は選手のたたずまい、立ち姿が気になる。昔の李承ヨプの一塁を守る姿にはほれぼれしたし、糸井嘉男の逆三角形の偉躯を外野から見るときは「この姿を目に焼き付けておこう」と思うが、そういう話をかんかんの応援団にしても、まず伝わらない。
そういうファンは試合の後「あのとき、ああしておけば良かったのに」と延々言ったりする。繰り言だと思うが、そういう話を楽しんでもいるのだと思う。
それはまあいいとしても、相手選手がケガをして出場できなくなって「ラッキー」というのはいただけない。
野球の試合は両軍がベストの状態で対戦してほしい、両軍が全力で戦ってほしいと思うのが野球ファンであって、相手にアクシデントがあったからと言って、それを喜ぶのは野球ファンとは言い難い。
何度か言った話ではあるが、2004年、近鉄バファローズが球界再編で消滅したときに、私は同じ南海ファンだった人と飲んだことがあるが「近鉄が消えてくれてせいせいした」と言われてショックだったのを覚えている。
野球は対戦相手、ライバルなくしては成り立たない。しかるにこの人は近鉄が消えて野球界が縮小の危機に瀕していることは眼中になくて、憎さも憎しライバル球団が不幸な目にあうことを喜んでいたのである。この人は野球ファンではないと思った。
もちろん、よそのことなどどうでもいい、オレは贔屓球団のことだけ考えているんだ、というファンの存在を否定する権利はだれにもない。そういうファンもいて良いと思う。
しかし、少なくとも私はそういう人とはあまり話したくない。そういう人は「贔屓球団」を見ていても「野球」は見ていないと思うからだ。
「碁敵は 憎さも憎し なつかしし」野球ファンも、こういう雅量を持ちたいと思う。
10人の打者 vs 23人の張本勲 |バットマンレース・スピンオフ
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しかし、それでも、どちらかに肩入れしてみてしまう。それが人情というものだし、その方が楽しいというのも一面の真実だ。
関西人だが、阪神戦では相手チームを応援する。巨人戦も同様。高校野球でも甲子園では大阪桐蔭の相手校を応援したりする。
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しかしその傾きはわずかであって、応援しないほうのチームに好プレーが出れば拍手喝采する。その程度のことである。
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好プレーについては敵味方なく、「あれは凄かった」と讃えあう。そういう話がよろしい。
しかしかんかんにチームを応援する人とでは、そうはいかない。
相手チームの選手の好プレーについて話すと
「あいつは、前の試合ではエラーしてたのに、よりによってうちの試合でファインプレーしやがって」みたいなことを憎々しげに言う。
そういうファンにとって「相手チームのファインプレー」は一種の負の「記号」であって、そのプレーの見事さには、目が向いていないということになる。もったいない話である。
私は選手のたたずまい、立ち姿が気になる。昔の李承ヨプの一塁を守る姿にはほれぼれしたし、糸井嘉男の逆三角形の偉躯を外野から見るときは「この姿を目に焼き付けておこう」と思うが、そういう話をかんかんの応援団にしても、まず伝わらない。
そういうファンは試合の後「あのとき、ああしておけば良かったのに」と延々言ったりする。繰り言だと思うが、そういう話を楽しんでもいるのだと思う。
それはまあいいとしても、相手選手がケガをして出場できなくなって「ラッキー」というのはいただけない。
野球の試合は両軍がベストの状態で対戦してほしい、両軍が全力で戦ってほしいと思うのが野球ファンであって、相手にアクシデントがあったからと言って、それを喜ぶのは野球ファンとは言い難い。
何度か言った話ではあるが、2004年、近鉄バファローズが球界再編で消滅したときに、私は同じ南海ファンだった人と飲んだことがあるが「近鉄が消えてくれてせいせいした」と言われてショックだったのを覚えている。
野球は対戦相手、ライバルなくしては成り立たない。しかるにこの人は近鉄が消えて野球界が縮小の危機に瀕していることは眼中になくて、憎さも憎しライバル球団が不幸な目にあうことを喜んでいたのである。この人は野球ファンではないと思った。
もちろん、よそのことなどどうでもいい、オレは贔屓球団のことだけ考えているんだ、というファンの存在を否定する権利はだれにもない。そういうファンもいて良いと思う。
しかし、少なくとも私はそういう人とはあまり話したくない。そういう人は「贔屓球団」を見ていても「野球」は見ていないと思うからだ。
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伊良部と星野の速球派vs技巧派の投げ合い。
伊良部VSイチロー率いるブルーサンダー打線。
当時MLBのエリートだったインカビリアを扇風機と化せた星野のスローカーブ。
ボビー・バレンタインが率いていることによって、MLBのチームと見まごうかのような野球を楽しみながら戦っているマリーンズの面々。仰木監督も言うまでも無く期待を裏切らなかった。
書き出すときりが無いです。
どちらのチームも攻守ともに見ていて楽しかった。ホームチーム側に座っていたが心からプレー一つ一つがわくわくしたのを思い出しました。
何より似た考えの友人と観戦していたのもよかったんだと思います。
取り留めのない話ですみません。