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【読者各位】
この記事は、livedoorブログ奨学金の奨学生ブロガー7人による共同企画「正力・原発、日本の漂流」の一環として書いています。ブロガーのテーマは様々ですが、一つの企画で書くことで、新たな展開があるのではないか、そんな思いで始めました。
2順目になりました。全く予想しなかった内容のブログが掲載されています。ちょっとすごいです。
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明日4月11日は、CAZANAさんです。
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正力松太郎(1885-1969)が、民主主義を尊重した形跡は全くない。

実家は“要塞のような”とたとえられる屋敷を持つ屈指の名家だった。子供のころから体が頑健なうえに優秀だった嫡男の松太郎は、高岡中学、第四高等学校を経て東京帝国大学法科大学に入学、明治が大正と変わる1912年に高等文官試験に合格。これは、今の一種公務員試験よりも厳しいと言われ、キャリア官僚への登竜門だった。

翌年警視庁に入庁した正力は、わずか8年でNo.2にまで上り詰める。当時の官僚機構の規模は今よりも小さかったが、それにしても異例だ。「警視庁始まって以来の出世」だったのは間違いない。

なぜ、こんなに早く出世したのか。それは、目に見える手柄を次々にあげたからだ。

当時の警視庁の使命は「帝都の治安維持」。天皇が住まわれる東京市の安寧を保つために、不逞の輩、左翼主義者、無産主義者などを取り締まることだった。

1917(大正6)年、正力は、早稲田大学の次期学長の座をめぐって二人の学長経験者が学生を巻き込んで起こした「早稲田騒動」を鎮圧し大隈重信の信頼を得たのを皮切りに、翌年の米騒動では、巡査を大幅に増強し、多数の東京市民を逮捕し、暴動を鎮圧。さらに、1923年の関東大震災では、世情不安をおさえるために「不逞の朝鮮人が暴動を起こしている」という情報を流布。人々の不満、不安を朝鮮人に向けさせることで、国家体制が揺らぐことを抑えた。

その手法は今から見れば、人権を無視したあり得ないものだが、ともかく「帝都の治安維持」という目的に向かって剛腕を振るったことが、出世につながったことは間違いがない。

正力は自他共に許す「スーパーエリート」であり、将来の総理大臣候補だった。

しかし、そのエリート街道は、翌年の「虎の門事件」で閉ざされる。難波大助という男が、ステッキに仕込んだ銃で摂政宮(昭和天皇)を狙撃した事件だ。東京市内で起こった事件の責任者である警視庁警務部長だった正力は懲戒免官となったのだ。

ここから正力松太郎の物語は、第2幕となる。彼はは在野の新聞社オーナーとして部数を拡大させるとともに、国政に民間の立場から関与する論客になる。

終戦でA級戦犯となり一時的に逼塞を余儀なくされるが、すぐに立ち直る。

第2幕でも正力は圧倒的な勝利者になる。讀賣新聞を有数の発行部数を誇る新聞社に育て上げ、プロ野球を創設し、民間放送を開始し、原子力発電の礎を作り、自らは国務大臣に就任。戦後日本の高度成長時代の推進者の一人となるのだ。

正力は総理大臣にはなれなかったが、並みの首相をはるかにしのぐ権力者となり、世の中を動かしたといえよう。

その手法は、若いころに暴動を鎮圧したときと大きく変わらない。手段を選ばぬ圧倒的な実行力で、対象を組み敷いて有無を言わさずことをなしてしまうのだ。そこには、メンバーの合意や、プロセスを重視する意識はない。また正力の事業は、「原発」「民放」「プロ野球発展」と目標が非常に単純化されていることも特色だといえよう。
とにかく「俺についてこい」。正力だけでなく、昔のエリートの手法はこれだった。官僚主導、護送船団方式で進められた高度経済成長も、ほぼこれと同じだったといってよい。

巨人軍の創設、そしてプロ野球の発展において、正力、巨人が果たした役割も、同じだった。球団の戦力均衡などは眼中になく、「巨人が強ければプロ野球は栄える」。そこには理屈はなく結果だけがあったのだ。

巨人戦の切符を配ることで読売新聞の部数を伸ばし、日本テレビをはじめとする民放の視聴率を上げた。そしてそのテレビの画像を家庭に送る電気は、原子力発電。「正力の戦後」は見事なまでに完結していたのだ。
正力は「創った」。そしてそれを「動かした」。彼の眼中には民衆も、総理大臣もなかったに違いない。



しかし、高度経済成長後のリーダーは、正力ら戦前に世に出たパワーエリートとは似て非なるものだった。かつてのエリートが上るべき山を「自分で築いた」のに対し、彼らの後輩たちは、すでにあった山に登っただけだった。そしてそこから下界を見下ろしただけだった。

その典型を、自称「最後の独裁者」渡邉恒雄に見ることが出来る。正力の後継者たるを自認していると思われる渡邉は、エリート銀行マンの家に生まれ、終戦の年に東京帝国大学に入学。翌年には日本共産党に入党している。同級生だった氏家齊一郎(のち日本テレビ社長)に勧誘されたのだという。同時期に入党した仲間に、セゾングループの総帥だった堤清二がいる。渡邉は、東大細胞(細胞=共産党の組織の単位)で有力な論客となるが、指導部と対立して脱党、讀賣新聞社に入るのだ。その行動を見ていると、当時から極めて政治的な人間であることが解る。

讀賣新聞政治部記者となった渡邊は、保守系の政治家に接近し、多くのスクープをものにする。しかし同時に渡邉は権力にすり寄り、その力を利用して讀賣新聞社社内での権力闘争に勝利していく。新聞社という言論の府を足場にしながら政治に接近したという点で、渡邉は正力に似ている。しかし正力が、首相をはじめとする政治家を歯牙にもかけず、自らの実力(財力も含めて)で政治家たちを頤使し、さまざまな政策を推進していったのに対し、渡邉は政治家の権力を後ろ盾にして、自らの地位を向上させていったのだ。これは天地の差があるといってよいだろう。

あたかも政治の世界に隠然たる力があるようにふるまっているが、政治家が渡邊恒雄を恐れた形跡はない。政争に首を突っ込んで、さも指導的位置にいるかのようにふるまうことはあるが、彼が新聞社を離れて成した事業はない。

正力とナベツネの「差」は、新旧のエリートの差でもある。かつてのエリートが、良しあしは別として、体制を自ら構築し、社会を変革していったのに対し、今のエリートは先人が構築した体制を自らの利権とするだけなのだ。
巨人のオーナーとしての渡邊恒雄もまた同じだ。時代が大きく変わり、マーケットも変貌しているのに、正力が築いた「球界の盟主」という利権的地位に蟠踞して、その権利を声高に叫んでいるだけだ。恐らく渡邉自身も変革の必要性は感じていようが、その方法も思いつかないし、実行力もないのだと思う。



3.11東日本大震災後に原子力行政の責任者として正力松太郎ありせば、彼は言論を大幅に制限し、人々に真相を知らしめないようにしただろう。しかし一方で財界に圧力をかけ、超法規的な措置を連発し、さらには米軍の力も借りて事故の広がりを防ぎ、風評被害も封殺したことだろう。人々への補償は最低限にとどめようとしただろうが、経済界へのダメージは遙かに小さくなったことだろう。

善しあしは別にして、かつてのエリートは「答え」と「実行力」を持っていた。そして最終的には「腹を切る」胆力もあった。

今のエリートは、自らの特権的地位や、生活などに拘泥するあまり「どんどん悪化する現実」を押しとどめることができない。ずるずると時間を浪費し、事態を漂流させてしまうのだ。「責任を取りたくない」エリートたちの及び腰は、多くの日本人が知るところである。

ノンフィクション作家佐野眞一は、昭和が平成と変わり、世界が「失われた20年」と評した停滞期を迎えた日本にあって、日本人、とりわけエリートの劣化をつぶさにレポートしてきた。
そして「(正力に続いて)渡邊恒雄の評伝を書いてはいかがですか」という声に、
「俺は全く書く気がしなかったね」と述べている。「(渡邉の)日本の政治と世論を思いのままに操れるという錯誤を見るにつけ、正力との器の違いを感じてしまったから」である。



我々の不幸は、地球が「地殻変動の季節」を迎えようとしている今、理屈抜きに「命を守る」「何とかする」指導者を持たないことである。

プロ野球界も収益性のない不健全な体制のまま、社会の支持を少しずつ失おうとしている。しかし、体制内部から変革の声は起こらない。全員が「与党」となり、利権を享受する側となってしまったために、動き出すことが出来ないのだ。

まさに、日本の縮図として、プロ野球という小さな世界も今、漂流しつつある。



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