「俺らのころは、サッカーなんて工業高校の奴らがやるもんだと思っていた」
昨年、明徳義塾の馬淵監督に「サッカーの競技人口が増えていますが」と聞いたときに帰ってきた言葉だ。どういう意味なのか?深く突っ込まなかったが、昭和の時代、野球人がサッカーをどう見ていたか、端的にわかる言葉だ。
高校を出れば就職する生徒のつかの間の楽しみだ、という意味か。普通科の高校に比べて数が少ない工業高校のスポーツ、つまりマイナーという意味か、実習など授業時間が長い工業高校でもできるお手軽なスポーツだという意味か。

やはり昨年、話を聞いた元バレーの全日本監督だった堺ブレイザーズの田中幹保常務は
「1970年代は、野球に次いで男子バレーだった。モントリオール五輪のときの取材は凄かった。サッカーなんて、誰がやっているのか、と思った」と語った。

そして昨夏、話を聞いた川淵三郎さんは
「僕は小さいころから野球ファンだった。サッカー選手になってドイツに行ってデットマール・クラマーさんに会った時も、広い芝生を見て、ここで野球をしたら面白いだろうな、って思った」と言った。首都大学東京の学長オフィスでお目にかかったとき、川淵さんが最初に言った言葉は
「今日はイチロー、ヒット打った?」だった。MLB3000本安打が迫っていたのだ。

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戦前から日本人が最も好きなスポーツだった野球にとって、サッカーは長い間、視野に入ってこなかった。存在を意識したことはなかった。

実は、戦前からサッカーの競技人口は少なくはなかった。1932年の旧制中学の球技部活数は、
 1.テニス 546
 2.野球 450
 3.バスケットボール 213
 4.サッカー 210
 5.バレーボール 175
野球には及ばないものの、サッカーは競技としては有力な球技だった。
しかし「見るスポーツ」としては、他の球技は野球の足元にも及ばなかった。

戦後、オリンピックの活躍で、バレーボールが人気スポーツとなる。1968年、サッカーもメキシコ五輪で銅メダルに輝き、一時人気となるが、それを受け止める国内リーグが、バレーボールよりも貧弱で人気を持続できず、バレーには後れを取っていた。組織がダメだったのだ。

サッカーが人気スポーツになったのは、1980年代になって、川淵三郎さんらが「プロリーグの結成」を働きかけ、1993年にJリーグが開幕してからだ。

プロサッカーの歴史は25年、82年目を迎える野球の三分の一でしかない。
野球の側からすれば、「今まで歯牙にもかけなかったマイナースポーツが何をいうか」という気持ちがある。圧倒的な成功体験もあるから、負けを認めたくない。競技人口を奪われたという恨みもある。

サッカーの側は、「いつまで偉そうにしているんだ、世界を見ればサッカーが上、若い世代ではサッカーが圧倒的だ」と思う。野球は古臭くて格好悪い。

しかし、それはファンや末端の意識である。
サッカーは「100年構想」でもわかるように、サッカーだけでなく野球も含めた他のスポーツも巻き込んで、地域に拠点を作ろうとしている。

先日、話を聞いた新潟アルビレックスBCの池田社長は、野球チームだがファンを「サポーター」と呼んでいる。古田敦也、小宮山悟などの野球人も、サッカーとのコラボレーションに理解を示している。野球界には頑迷な老人が中枢にいるが、それでもサッカーに学ぼうという機運は生まれている。

野球界は急激な「野球離れ」が進んでいる。サッカーは横ばいだが、少子化もあり競技人口の伸びは期待できない。
そんな中で野球にとってもサッカーにとっても、ファンや競技人口を維持、成長させるために必要なことは「野球もサッカーもする」若者を育てることだ。

そろそろそういう動きがあっても良いと思う。
「野球豚」「サカ豚」といがみ合う馬鹿な人はほっておいて、そういう潮流ができてこなければならないだろう。

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