阪神時代の印象が強いが、日本ハム時代は貢献度の高いいぶし銀の名内野手。
1969年6月生まれ。同い年に堀幸一 、高橋 建、久慈 照嘉 、加藤 博人、吉永 幸一郎 、伊良部 秀輝 、野村 弘樹、檜山 進次郎 、田口 壮、若田部 健一、タイロン・ウッズ、立浪和義、金田 政彦、MLBではケン・グリフィJr、マリアノ・リベラ、トロイ・パーシバル。

PL学園ではKKコンビの二学年下、宮本慎也の一学年上、同志社大を経て1991年ドラフト2位で日本ハムに入団。

A-Kataoka


即戦力として入団し、開幕戦に6番三塁で先発し、7回表に工藤公康から初安打。正三塁手に定着し、1年目に打率10位に入る活躍。

2年目にはオールスター選出、順調にキャリアを重ねたが3年目から打撃不振に陥る。1996年には一塁にコンバートされる。

この時期までの片岡はカウントを考えずに勢い任せに打つ打者だったが、スランプを脱してからは投手のボールを見極めるしぶとい打者に変わった。

1996年には一塁でゴールドグラブ、1997年には再び三塁に戻り、連続でゴールドグラブ。打撃の進境にはこの年からチームメイトになった落合博満の影響もあったのではないか。



98年には最高出塁率のタイトルも獲得。3番打者として地味ながらチームに貢献する。
1000本安打は、2000年6月13日、大阪ドームの近鉄戦、3番三塁で先発し、9回表にユウキから遊撃内野安打で達成。

2001年にFA宣言して阪神に。1年目はオールスターに選出されたが、日ハム時代はなかった大応援と激烈なやじにさいなまれ、以後成績を落として引退。

解説者を経て阪神の打撃コーチに就任。解説者を経て今年から再び阪神コーチ。



夢の裏バットマンレース(後半戦)


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