予定があったので、昨日は甲子園に行けなかったが、掛布二軍監督の最終戦は7000人が集まったという。甲子園で二軍戦をすればこれくらいは集まるから、それほど多いわけではないが、二軍戦では入り口は1か所になるから、行列はできた。
掛布雅之は昭和50年代から60年代にかけての阪神の大スターではあったが、テスト生同然のドラフト会で入団し、激しい練習で実力を蓄え、チャンスを見事にものにしてミスター・タイガースとまで呼ばれる存在になった。

売り出したころは溌溂としたプレーが話題になった。当時の虎ファンは「それに比べて田淵は…」というのが常だった。
山本浩二と並び、セの最強打者として本塁打王3回、打点王1回、三塁守備も華麗で、まさに「阪神の長嶋茂雄」のような存在だった。
「掛布コール」は、今に至る派手な応援の嚆矢と言ってもよいだろう。

同い年の江川卓を仇敵と思う阪神ファンにとっては掛布は「正義の味方」でもあった。

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巨人のV9が途切れ、中日、広島、ヤクルトと多くのチームが優勝の美酒に酔う中、阪神はなかなか優勝できなかったが、1985年に21年ぶりの優勝。関西は革命でもおこったような騒動になった。この優勝は掛布、バース、岡田、真弓の強烈な中軸の勝利だった。このときが掛布の最後の華になった。
以後の掛布は、小さな体を酷使した無理がたたって腰痛に苦しみ、33歳で引退した。

引退後は「いつ阪神の監督になるのか」と言われたが解説者暮らしが長く、そのうちに手掛けた事業が破たんして破産したとの報がたびたび入った。

阪神のコーディネーターになったのは2013年、58歳のこと。ファンの多くは「破産処理もひと段落着いたんかいな」と思ったことだろう。そして2016年に二軍監督に。

掛布雅之はもともと苛烈な体育会系の人間ではなく、理論肌だった。打撃論を諄々と説く解説を聞けば、掛布という人間の丁寧さがわかる。

実社会の厳しさを味わって、掛布という人間は、深みを増し、浅いキャリアながら指導者として円熟味のある指導ができたのだと思う。

金本知憲という「即効性」ばかりを求める指導者とは対照的に、掛布雅之は「漢方薬」のようにチームの体質を立て直し、長く上位を維持する戦力を作ろうというタイプだ。

おそらく、阪神には一番好ましい指導者だと思うが、口を開けば「いつ優勝してくれるねん」「結果が出てなんぼや」という球団経営陣にはまだるっこしい監督でもあろう。

金本知憲体制がいつまで続くのか知らないが、掛布雅之に一度は一軍監督として采配を振るってほしいと思う。
60半ばの新人監督は、いい味出すと思うが。

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