この本の重要な主張に、「部活」を「競争の場」から「居場所」への復元、があった。

もともと中学の「部活」は、放課後にスポーツや趣味などを子どもに「安価に」「手軽」に経験させることを目的にしていた。

その限りにおいて、日本の「部活」は先進国にも例を見ない優れたものだと言えよう。
他の国でも、スポーツや音楽を授業で学ぶことはあるが、放課後にこれらを学校で学ぶことができる国は極めて少ない。
他の国では子どもがスポーツや趣味を学ぶためには、親が金を出してスポーツクラブやジムに通ったり、芸術系の教師につかなければならない。

日本では、無料あるいは非常な安価で球技や陸上、音楽、芸術をなどにふれることができる。それは「健康で文化的な生活を送る」という基本的人権の考えに照らしても素晴らしい。

私が子供のころの中学校の部活はまさにそのようなものだった。
週に2、3回、放課後に2時間ほど活動をする。先生の多くもその道の専門家ではなく、テキストを見ながら基本を教えてくれるものだった。まさに生徒の「居場所」だったのだ。
熱心な部活もあった。私の中学でいえばハンドボールがそうで、県や全国の大会にも出ていたが、それはあくまで「特殊例」だった。
確か、学期ごとに部活を入れ替えることもしていた。文化部からスポーツ部にチェンジした記憶がある。今から考えると牧歌的なものだった。そして、部活に入らない子も普通にいた。塾や習い事を優先していたのだ。

しかし、今の中学の部活は、さま変わりをしているという。教師はほぼ全員部活の顧問をし、生徒もほぼ全員部活に入る。そして6割以上の部活が土日も含め、ぶっ通しで行うようになっているという。

学校を離れて時間が経つ今の大人は、中学校で起こっていることをしっかり知る必要がある。昔と今の「部活」は違うのだ。

このような異様に加熱した中学部活を経て、高校の部活はさらに本格的になるのだ。

高校では「大学受験」という大きな課題が立ち上がってくるので、そちらに流れる生徒もいるが、「部活」に打ち込む子供の集中は半端ではない。
体育系であれば、体力の限界に挑むようなハードトレーニングが当たり前になる。文科系でも平日3時間、休日まる1日、ぶっ続けでの練習があたり前になる。
そして「勝利至上主義」が徹底され、生徒は実力によって選別される。選手として大会に出る生徒と、そのサポートに回る生徒に分かれる。
サポート役の生徒は、練習など部活の時間が削減されても良いと思うが、そうはならず、レギュラーの生徒と同じだけの時間とエネルギーを注ぐことを求められる。そうしないと「部活の一体感」が保てないからだ。

IMG_9032


野球は少し特殊で、中学では軟式野球しか教えない。本格的にやる子は外部のリトルシニアやボーイズなどの硬式野球クラブで教わる。その子たちが高校で一緒になる。しかし、そこからは同じだ。高校野球が最も本格的で、最も過熱している「部活」であるのは間違いない。

本来の「居場所」としての部活は、「競争」によって塗りつぶされている。ごく一部の「勝利者」を生み出すために、多くの生徒の膨大な時間とエネルギーが空費されている。

それは幸せなことなのか、有意義なことなのか、問い直すべき時が来ている。

スポーツや文化活動の国、地域として水準を保つのは、学校の役割ではない。学校は教育機関であり、子どもを一人前の社会人にすることが目的だ。
専門の学校でない限り、アスリートや芸術家を生み出すのは本旨ではない。そのことをかみしめたい。

IMG_8993


ルーキー最多安打レース

私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!