野球だけではないが、あるジャンルの将来について考えるときに重要なのは「立ち位置」だ。
同じ事象をとらえても「立ち位置」が違えば、見解は全く違うものになる。

「野球の競技人口が激減している」という深刻な問題についても、「立ち位置」が違えば見方は全然違う。野球界に生活の糧を求めている人にとっては、それは将来的な死活問題につながる。野球周辺で生きている人、メディアや周辺業界にとってもそれは問題だ。
また野球が大好きな人にとっても、それは心配なことである。

しかしながら、野球界と無縁で、あまり好きではない人にとっては、それは他人事だ。別に何とも思わないだろう。今まで野球が盛んであることを快く思わない人には、いい気味だと感じられるかもしれない。

ただし「野球の未来」を議論する上では、それが「他人事」である人は、議論に参加できない。「野球が衰退するのは問題だ」という議論のスタートとなる共通認識が共有できないからだ。

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当サイトにも「野球が嫌いだ」「野球が衰えても構わない」とか「もう少しマイナーになった方がいい」というコメントが来る。なかには「そのほうが野球界のためだ」という見方もあるようだが、そういう人には議論に参加する資格がない。

人に例えるならば、「最近、体の調子が良くない」と訴える人に「医者に行くべきだ」「節制しろ」「健康に気を付けろ」という人は、親身になっているといえるが、「別に死んでも私は困らない」という人や「これまで元気すぎたんだから、ちょっとくらい弱った方がいい」という人は、その人のことをまじめに考えているとは言えないだろう。

少年野球が衰退していると聞いて「そんなのは大した問題じゃない」といったNPB球団のオーナーは、要するに野球界の当事者ではないのだ。
今、自分はかかわっている球団ビジネスのことは考えるが、野球の将来など知ったことではないといっているのだ。

NPBの球団はほとんどが大企業の子会社になっている。経営トップには、親会社からサラリーマン上がりがやってくる。彼らは親会社に忠誠を誓っている。そのことは一生懸命やるが、野球界全体のことなど、知ったことではない。
いわば、野球界の「当事者」ではない人が、野球界の方向を決定し、人事を決めている。だから、野球の改革は一向に進まないのだ。

日本のサラリーマンは「組織」という枝にぶら下がっている。そして一人ではなく、何人もで「責任」を分割して持っているから、一般論でいえば組織には忠実だが、責任感に乏しい。また全体を見通すことが苦手だ。
NPBについていえば、経営の中枢にそういう人たちがいることで、変革が起こらないのだ。

現場の社員、スタッフはそうではない。野球が好きで、野球で生きていくことを心に決めた人、サラリーマンだが現場の状況を知った人は、物事がはるかに見えている。話をしていても、危機意識がびんびん伝わってくる。当事者だからだ

新コミッショナーも、野球界とは無縁だ。もうサラリーマンではないが、サラリーマン上がりであり、組織に忠実で、実質的な雇用者である球団経営者の意向をくんで動くだろうと思われる。
そういうコミッショナーが、「野球の未来」を「我がこと」として憂慮し、組織の改革に乗り出すとはとても思えないのだが。

川淵三郎さんはサラリーマンである以前にサッカー選手だった。そして経営者マインドを持ち、当事者としてサッカー界の改革に当たった。そういう人が必要なのだ。

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