読者の方のコメントで気がついたのだが、サッカー界には「これからの日本サッカーはどうあるべきか」という議論が常にある。しかし日本の野球界にはそれがない。

そのスポーツジャンル全体を見通すような議論を「公論」とするならば、サッカーにはそれがある。
戦術や技術面でいえば「ジャパンをどんなチームにすればいいのか」は、サッカー界の最大の議論の一つだろう。
ワールドカップを控えて「ハリルジャパン」はいいか、悪いか、かまびすしいことである。
このときに、話題になるのは「勝つこと」だけではない。日本のサッカーをどのような方向にもっていくのか、どんな発展性をもたせるのかが議論になる、誠に建設的だ。

同時にサッカーをする「環境」や「メディア」についても「公論」がある。子供たちの育成や、シニア世代のサッカー環境について、そしてDAZNとの契約についても。

そうした意識がサッカーファン全体の底流にあって、ファンは様々な議論をしている。「自分とこのチームが勝てばいい」という意見は、サッカーの「公論」では否定される。
ジャーナリズムも常に「サッカーの公論」や「歴史」「未来」を意識している。

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しかし野球は、選手個々への賛否や、チームの勝敗などが議論の中心であって、野球界全体を論じる動きはほとんどない。プロ野球の未来を論じる「公論」は、私のようなメディアの端の方にいる人からはおこっているが、新聞、テレビなどで「野球の将来」がテーマになることは滅多にない。
メディアの話も、子どもが野球をする環境についての話も、まるでタブーであるかのように盛り上がらない。

その背景には、野球界そのものが「一枚岩」ではなく、プロ、アマ、セ・パが互いに協力することなく勝手にやっていることが大きい。
何度も言っているが「野球界は」で始まる議論がいまだに起こらないのだ。

そして新聞、テレビなどのジャーナリズムにも「公論」は意識されない。日ごろ顔を合わせている選手を喜ばせるために、MVPや新人王で投票をする新聞記者のレベルの低さを見てもそれがわかる。

野球界の「公論」が始まるのは、2500万人という観客動員が、はっきり減少に転じ、NPBの球団のいくつかが経営危機に見舞われるときだろう。

しかしそのときに「野球の未来」を見据えた動きが出るかどうか。球界再編のときのように、ダウンサイジングして、自分たちの利益を確保するような愚かな判断をするのではないだろうか。

そして野球ジャーナリズムも「公論」を論じた経験がないので、的外れな議論をすることだろう。

ささやかなことではあるが、私はいろんなメディアで「公論」を論じたい。とりわけ、この小さなブログでは「公論」を論じていきたい。

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