大相撲、日馬富士の暴力事件は、マスコミにとって「おいしいネタ」になった。連日、ワイドショーやニュースで取り上げられているが、日本のメディアの常として「騒がれそうな方」にどんどん突っ込んでいく。時には事件の本質から大きくずれた方向に、深い穴を掘ってしまうことも多い。
今の論調は、相撲協会が悪いのか、貴乃花が悪いのか、どっちだ、に集約されている。

しかし、以前からいうように、この事件は、「大相撲」という閉ざされた社会が、コンプライアンスが厳しくなった今の社会に適応できなくなっていることを意味している。

大相撲は、アウトロー集団として300年以上も続いてきた。最近まで、その集団内の「掟」や「仕切り」を日本社会も容認してきた。
しかし、どんな組織であっても「法令順守」「人権尊重」を重んじる今の社会は、大相撲のような例外を許さなくなっている。

事態を複雑にしているのは、モンゴル人など外国人力士の存在だ。日本相撲協会は外国人力士を「1部屋1人」に限定している。そのためにモンゴル人力士は全員が本割で顔を合わせるライバル関係にあるが、同時に同国人同士のつながりは強く、モンゴル力士会という強固な集まりを作っている。

やくみつるは、この集団が「八百長」や「片八百長」などに関与している可能性を指摘しているが、それとともに、モンゴルという国家が、人権や民主主義の意識が未熟で、日本とは異なる規範意識であることも大きい。彼らはそうした国で育ち、相撲界という特殊社会の中に、さらに特殊なコミュニティを作っている。事件はその中で起こったのだ。

貴乃花親方は、その危険性を指摘したかったのだろう。モンゴル力士が圧倒的な勢力となる中で、相撲界が壟断される恐れがある。それを貴ノ岩の事件をきっかけに訴えたかったのだろうが、悲しいまでにコミュニケーション能力が低く、世間からは大きな誤解を招いている。

すべての「暴力沙汰」を否定するのは当然の話である。しかしながら「暴力」で規律を保ってきた大相撲という特殊な集団を浄化し、現代社会に対応した集団にしていくためには、この社会の歴史や価値観を理解し、一つ一つ改めていく必要があるだろう。ましてや、モンゴル力士会という、特殊な「組織内集団」までできている。事態はそれほど簡単ではない。
大相撲界の自浄機能を期待するだけでは、また同じことの繰り返しになるのではないか。

実はプロ野球も似た一面がある。今は球団は健全な企業であり、選手はアスリートだということになっているが、一皮むけば野球も特殊な人間関係でつながった集団だ。
野球界には「自分たちだけで通用する価値観」がいまだ強く残っている。
先年の野球賭博事件もそうだが、野球選手の中には「自分たちは堅気ではない」と思っている人も多い。かつては、在日韓国人など、日本では差別されてまともな職につけなかった人にとって、プロ野球は収入を得る大きな手段だった。そして多額の年俸を得ることもあって、おかしな行動に走る選手が後を絶たなかった。アウトロー集団という一面があったのだ。

野球は大相撲に比べれば、歴史も浅く、一般社会との同質性も強いが、いずれにしても「時代が大きく変化し」「これまで許されたことが、許されなくなっている」ことを、十分に認識する必要があるだろう。

こうした特殊な社会が生き残っていくためには、自分たちの歴史を見つめなおし、一つ一つ改めていくことが必要だ。ことはそんなに簡単ではない。

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