野村克也には、前妻がいたと記憶する。確か南海電鉄の幹部の娘で、その間に子をもうけていた。おそらく50代半ばになっているだろうが、表に出ることはない。

最初の妻とは、野村が飯田徳治の後を受けて南海のプレイング・マネージャーになったころには別居していた。

鶴岡一人も2回結婚しているが、鶴岡の場合、最初の妻とは死別しており、鶴岡は家庭を壊したことはない。
当時の野球選手の女性関係は相当ひどかったと思うが、メディアがこれを報じることはなかった。鶴岡も遊びは一通りやったから品行方正ではなかったはずだが、それと「嫁はん」は別だったはずだ。大恩ある親会社の幹部の娘をもらっておきながら、その女性と別居した野村には、鶴岡は厳しい目を向けていたはずだ。

ましてや、そのあとに直った女性が野村沙知代なのだから、鶴岡は、「ノムは何を考えているのや」と困惑したことは想像に難くない。

私は旅行関係の仕事をしていたとき、三重県の某ホテルで、野村沙知代の講演会をちらっと聞いたことがある。野村沙知代は、化粧品会社にかかわっていて、百人以上の中年女性に対して「美しくなるには」みたいな講演をしたのだ。
例のべらんめえ調で、毒舌めいたことをいいながら、客席を笑わせていた。聴衆の女性はそのあと、高価な化粧品一式を買わされることになるのだが、その弁舌は見事だった。

野村沙知代は、そういう形で「野村克也夫人」であることを利用して、いろんなビジネスをしていた。また、夫の仕事にも積極的に口を出した。公私にわたって夫を支配したのだ。
このあたり、親しかったといわれる松居一代とそっくりだ。
サッチーは、選挙に出た際に、経歴詐称で訴えられたことがあるが、以前は本名も違っていた。また団、ケニーという二人の連れ子との関係も複雑だ。人間的にもかなり複雑だと思われる。

南海ホークスのベンチに入って采配に口出ししたともいわれるが、古風な鶴岡御大からすれば、信じられないことではあっただろう。
野村克也と南海ホークス、鶴岡一人の間が決定的に悪くなったのは野村沙知代が原因だったのは間違いないだろう。

しかし現役を退いてからの野村は、解説者、そして指導者として経験を積み、今ではONと並ぶ偉大な野球人になっている。
それはもちろん野村克也の才能ではあろうが、その陰に、野村沙知代がいたのではないか。
彼女が、野村克也という人間を大きく、偉大に見せるプロデュースをしたことで、野村克也は「球界のご意見番」「文化人」になったように思う。
サッチーは、権勢欲が強く、虚栄を張ることも多く、いい嫁はんには見えなかったが、野村克也が終生彼女を頼りにしたのは、引退後の「野球人・野村克也」は、サッチーなくしてはありえなかったからだろう。

ただ野村沙知代の死去で、野村克也は「南海OB時代」のことを語り始めるのではないかと思う。大阪球場の跡地のビルの上にある「南海ホークスミュージアム」には、野村克也の痕跡はほとんど残っていないが、これは沙知代が反対したからだといわれている。

鶴岡親分も、杉浦忠も、川勝傳も世を去って久しい。これから野村克也が、ホークス時代のことをぽつりぽつりと話し始めるとすれば、ぜひ、聞きに行きたいと思う。


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