私が社会人になったのは35年以上も前だ。最初の職場は芸能界で、寄席芸人はみんな煙草を喫っていた。ある大師匠は楽屋で灰皿の煙草の吸い殻を燃やして、スプリンクラーから水が吹いて楽屋を水浸しにしたことがあった。
次の職場は広告制作会社だったが、打ち合わせは締め切った部屋で煙草を吹かせながらするのが常だった。私はほとんど煙草を喫ったことがないが、その当時家に帰ると「煙草臭い」といわれたものだ。
大学生の入社説明会で、人事部長がまじめな話をした後「ここからは煙草を喫いながら、ざっくばらんに話しましょう」ということもあった。

当時から喫煙の害は言われていたが、煙草を喫うのは個人のし好の問題であり、なんでもなかった。

IMG_9607


しかし平成に入り、ある時期を境目に煙草を喫うことの意味が大きく変化したと思う。
私は一時期、大阪市阿倍野区に住んでいたが、朝、結構なお嬢さん学校の制服を着た女子高生が道々考え事をしながら煙草をくわえて歩いているのを見て、どきっとした。見てはならないものを見たような気がした。

そのうちに、誰であっても人前で煙草を喫うことそのものが、ドキッとするような行為になる。会合や会議で煙草を喫うことが許されなくなり、公共の場での喫煙が禁止になる。
今、町の中で、おおっぴらに喫煙できるのはコンビニの店外くらいになったが、そこにたむろして煙草を喫っている男女を、通り過ぎる人の多くが、疎ましい思いで見るようになった。

煙草を喫うことは健康や環境に実害があるが、そのこととは別の次元で、喫煙習慣そのものが「タブー」になりつつあることを強く感じる。
少し大げさに言えば、喫煙者は一段低い存在、「二級市民」のように見られている。

たとえばこないだのマツダスタジアムでのトライアウト、プレーを終わった選手の多くはスタジアムの喫煙スペースで一服やって自分の野球人生を振り返った。おそらく50数人中30人以上は煙草を喫っていたと思う。率直に言って、それはドキッとする光景だった。

野球界に「喫煙」は、つきものだ。立派な成績を残した選手、選手の育成に功績のある指導者でも多くが煙草を喫っている。
そのこと自体、問題があるとは思わないが、世間は「煙草を喫っている」一事で、その人の属性や生活について一定の判断をし始めている。

高校球児が喫煙をしてはならないのは、第一に違法だからだ。そして健康にも悪い。しかし、これからの指導者は「煙草を喫う人は、変な人のように思われかねない」ことを教えるべきではないか。

指導者自身が喫煙がやめられないのは、残念だが仕方がないことだとしても、「これからのことを考えれば、煙草は吸わないほうが良い。俺みたいになるな」と指導すべきだろう。

e3bcc3286338ba78a45e78ae87ca39ab_m


2017年増田達至、全登板成績【レオの守護神、今年も健在】


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!