野球は、戦後、男の子の遊びの王座に躍り出た。学校から帰ればランドセルを放り出してバット、グラブをもって駆け出していくのが昭和の子供だった。

昭和30年代、40年代初頭までの漫画雑誌の表紙にも、野球選手が載っていた。
アニメの時代に入ると、その勢いが加速する。
1968年に「巨人の星」がアニメ化され、日本中に大ブームを巻き起こしたのだ。折しも「怪獣ブーム」も到来したが、子どもたちは「野球も怪獣も」大好きだったのだ。

野球ブームは昭和20年代から長く続いた。このために世代的にも幅広い層が野球ファンになった。
当時、スタジアムで野球を見るのは高嶺の花だった。大人も子供も、多くの野球ファンがテレビでプロ野球中継を楽しんだ。
ときしも巨人V9時代。「野球は巨人、司会は巨泉」、故大橋巨泉のキャッチフレーズだが、当時の「野球」とはあらかた「巨人」のことだった。

こうした野球ブームと、競技としての「野球」は、基本的に別の世界だった。野球選手はプロもアマも、戦前から続く飛田穂洲の流れをくむ練習、指導を行っていた。軍隊のような鉄の規律、滅私奉公の精神など、その中身は戦前とあまり変わらなかった。

野球ファンは野球選手を神のように崇めたが、選手たちはファンのことを何とも思っていなかった。もちろん、昭和中期以降の野球選手は子どもの頃に「野球ごっこ」の経験はあったが、大部分は早い時期にこれを卒業し「野球道」とも言うべき別世界に入門していた。

彼らにとって「野球ごっこ」は無価値だったし、野球ファンにはファンサービスこそすれ、大事なものとは思わなかった。野球のステイタスは、野球ファンを足の下に敷くことで高くなったともいえよう。

こういう時代が50年以上続いたのだ。

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この間に、サッカーが地道な裾野開拓を始めていたが、野球は全く危機感を覚えていなかった。

学校では「野球」は「遊び」とみなされ、教育とは無関係だと思われていた。部活としての「野球部」は、学校の影響が及ばない治外法権だった。

こういう時代を経て、21世紀。野球のすそ野である「野球ファン」は、激減した。「野球ごっこ」をする空き地がなくなったし、多くの子供が低学年のうちからサッカーをするようになった。スポーツや娯楽、趣味の選択肢が多くなる中で、野球を選ぶ子供は少数派になった。

「野球ファン」の激減は、テレビの野球中継の視聴率低下という形で現れた。視聴率が稼げなければ、テレビは野球中継を放映しなくなる。
テレビからプロ野球中継が消えると、子どもたちは野球選手の真似をしなくなった。そもそも「野球」にふれる機会がなくなった。「野球の記憶」が子供の頭や肉体から消えていった。

NPBの球団はリピーターを呼び込む形で観客動員を維持しているが、2513万人の観客の実態は、おそらく数百万人のコアなファンである。日本の多くの人が、野球に関心を持たなくなっている。

野球界はようやくすそ野拡大対策を始めた。しかしそれは「競技人口」の維持、拡大策であり、「野球ファン」のすそ野拡大ではない。

競技人口をいくら維持拡大しても、野球ファンが減少すれば、野球界は維持できない。

野球界は、野球ファンのことを、黙っていても自分たちに金を貢いでくれる人たち、くらいにしか思ってこなかったが、その絶対数が減少していることに、もっと危機感を持たなければならない。
「野球ファン」を増やす取り組みは始まっているが、それは「競技人口の維持拡大」や「野球技術の向上」よりも、はるかに優先順位が高いことを、野球のエリートたる野球界の人々は知らなければならない。


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