「阿部一族」と言っても、現宰相とは無関係だ。森加計とも関係がない。森鷗外の歴史小説のことだ。

森鷗外は中年以降「史伝」と名付けた史実に基づく作品を数多くものにしたが、「阿部一族」もその流れで作られた小説だ。言葉を選び、虚飾を排して書かれた文章は怜悧で、鷗外という作家の凄みがにじみ出ている。

話は熊本細川藩に仕える阿部弥一右衛門が、主君忠利の死に際して「殉死」を禁じられる。主君の死後、弥一右衛門は「命惜しみ」の評判がたったために自刃。しかし主君の命に背いたため私的な自殺とみなされ、死後、阿部一族は家格を落とされる。不満に思った長男の権兵衛は、法要の席で髷を切る。非礼をとがめられて権兵衛は梟首。追い詰められた阿部一族は屋敷に立てこもり、全員が討ち死にする。

正義感が強く、誰よりも強い忠誠心を持ちながら、世渡りが下手で、周囲と摩擦を起こし、次第に孤立していく様は、昨今の貴乃花親方の姿と重なる。
お家大事の家臣連中が、同調圧に屈しない阿部一族をじりじりと追い詰めるさまも、日本相撲協会の今回の対応を思わせる。

今回の処分は、貴乃花親方の相撲界でのステイタスを首の皮一枚で残す結果となったが、協会側は、貴乃花側の勢力を根こそぎ屠ってしまいたいという意向を持っている。うまく追い詰めて、貴乃花側を自滅させたいと考えている。

しかし、世間は、どうやら貴乃花側に「正義」「道理」があるのではないか、とも思い始めている。今回の処分が軽かったのも、協会がそれを意識したからだろう。

阿部一族同様、貴乃花にも非はある。自らの主張を筋を通してきちっと表明することなく、思わせぶりな態度を見せつつ、組織への非協力を続けることで、コミュニケーションの手段を自ら断ち、事態を深刻な方向へ持って行ってしまった。
本当の改革者であれば、こうした手段は取らず、穏便に緩やかな改革への道筋を模索したはずだ。良いブレーンがいないことが、こうした孤立を招いたのだろう。

スポーツ界にはなぜこういう事件が頻発するのか。2011年の「清武の乱」も正義を唱えた反逆者が追放されるというよく似た経緯をたどった。

日本社会の陰湿さは、350年前から変わっていない。改革者を押しつぶす体制と、それに同調する多くの善良な人々。私が日本で一番嫌いなのは、そういう体質だ。日本人が大嫌いになるのは、こんなときだ。

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