正月にNHKの「新春TV放談」を見るのは恒例化している。この10年、テレビ界が激変していることを感じざるを得ない。
私は昨年11月、東京からの帰りに名古屋に寄って、街中で大量にチラシを配っているのを見かけた。例のAbemaTVの「72時間ホンネテレビ」の宣伝だった。
私のようなおやぢにはくれなくて、周囲の大学生にばらまいていた。すさまじい量だった。その日の朝、新聞広告も見ていたから、何かが始まるのだとは思っていた。

私はこの番組の意味するところを正確に理解しているとは思えないが、おそらくエポックになる番組だったのだと思う。

テレビを見なくなった若者に向けて、インターネットテレビがバラエティ番組を配信した。SMAPをやめた3人がMCを務めるというのもインパクトだろうが、それ以上に地上波TVではなく、ネットTVがこのような超大型企画が成立したということ。
そしてこの番組が、多くの視聴者を得たことも大きかったのだろう。視聴率的には微々たるものだという報道もあったが、そもそも、地上波TVの指標をネットテレビに当てはめることに、何ほどの意味があるのかとも思った。

その上で、私が感銘を受けたのは、この超大型番組が今年の元旦、ノーカットで再放送されたことだ。「72時間ホンネテレビ」は、再利用が可能なコンテンツでもあったのだ。

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「新春TV放談」でも、今後のテレビの視聴スタイルは、視聴者が番組表を見てその時間にテレビの前に座るのではなく、自分が好きな時間に、好きなスタイルでコンテンツを視聴するスタイルになると言っていた。

今後のテレビは、それが生放送であれ、編集されつくしたドラマやバラエティ、ドキュメントであれ、視聴者のそうした視聴スタイルに対応できなければならない。

野球中継をはじめとするスポーツ中継番組は、そういうニーズに応えられるのか?「生」であることは、「72時間ホンネテレビ」でもわかるように大きなハンデではないかもしれない。しかし、スポーツ中継は、最終的には「勝敗」「記録」のように、一つの「結果」に集約される性格のものだ。
もちろん「過程」も重要だが、それ以上に「どうなったか」に注目するコンテンツだ。

そういうスポーツ中継番組が、今後の視聴スタイルに耐えうるのか。「結果」がわかっているスポーツ中継番組を、何度も視聴してくれるのか?

もちろん、スポーツの試合は「生」のコンテンツとして存在しうるだろう。しかし他のコンテンツが、再放送やネットのコンテンツとして何度も再利用が可能で、おそらくはその過程でコストを回収していくのに対し、スポーツ中継番組は、再利用には向かず、ほとんど1度限りでコストを回収しなければならないとすると、極めて収益性が悪くなるのではないか。

私はVHSの時代からスポーツ中継をビデオに収録してきた。野茂英雄、イチロー、松坂大輔などの試合を残してきた。実はサッカーのワールドカップは1998年から、F1は87年からVHSで録画し、残してきた。しかし、それらをもう一度見ることはほとんどない。保存していることに満足しているが、それらを再利用することは、実際にはあり得ないのだ。その時間がないし、結果がわかっているものを長々と見ることはない。本や記事を書く時の資料としての利用以外の使い道はないだろうと思っている。

もちろん「総集編」や「ダイジェスト」での再利用は可能だろう。しかし、いつでも多くの人が何度でも見に来る「ドラマ」や「バラエティ」に比べてその価値が高いとは思えない。
この正月も「スポーツバラエティ」はたくさんあった。スポーツ中継とは似て非なるこの手のコンテンツは視聴者の新しい視聴スタイルに耐えうるだろうが、スポーツ中継はどうなっていくのか?

この暮れに私は見たかった「池の水全部抜く」をまとめて視聴したが、その面白さはまさに「中継番組」のそれだった。しかし、実際には巧妙に編集され、視聴者においしいところだけを提供しているのだ。

テレビは地上波からネットへ、大きく移行している。地上波テレビで培った演出や編集の技術は、ネットに転用されるだろう。
しかしスポーツ中継番組は、とりわけ野球中継は、こうしたメディア革命に取り残されるのではないか、そういう危惧を抱かずにはいられなかった。

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