「古い野球の体現者」、星野仙一のその面を強調してきた。あとで思い出したが、晩年、星野仙一の意識は変化していた可能性がある。
2016年の11月、星野仙一はルートインBCリーグの設立10周年記念式典に出席し、村山哲二代表、小林至氏とのシンポジウムに参加している。
星野がここまで独立リーグと深いかかわりをもっていたとは思えなかったが、この座談会で、認識を改めたのではないかと思われる。

「日本プロ野球の未来と独立リーグが果たすべき役割」というテーマで行われたこのシンポジウムで、星野仙一は独立リーグが、大きな経済的支援のないままに10年にわたってリーグを運営してきたという事実を認識し、その大変さに思い至った。
そして「NPBのない地域でこんなに頑張っている野球人たちがいるんだから、俺たちが出来る事があったら何でも言いなさい」と言った。

言葉だけでなく、星野は自らの人脈を動かして、BCリーグと楽天との交流戦を実現させた。また、指導者をBCリーグ球団に紹介した。
「星野仙一さんが、BCリーグを応援してくださっている。コーチを紹介してくださった」村山代表はこう話していた。

思えばそのシンポジウムの時点で、星野仙一はすい臓がんの宣告を受けていた。最後の仕事として、独立リーグを盛り立てようと思ったのかもしれない。

中日ドラゴンズ、阪神タイガースと、セ・リーグの老舗の人気球団で、日の当たるポジションで活躍してきた星野仙一にとって、パの新興球団楽天での環境は、これまでと大きく異なったのではないか。

今年、私はキャンプの本を上梓したが、12球団の対応は、全く違うものだった。ざっくり言えばセの球団に比べてパの球団の方が腰が低く、丁寧だった。少しでも良い情報を発信してもらおうと、懸命な姿勢がうかがえた。

殿様商売で、ふんぞり返っている名門球団から、地域に密着し、ファンを獲得しようとしている新興球団へ、星野仙一は同じNPBでも全く違うスタンス、文化の球団に入って、認識を改めたかもしれない。

星野仙一は川淵三郎に似た部分がある。
ともに一流のプレイヤーだったが、引退後に指導者として手腕を発揮した。強権的と言われるほどの強烈なリーダーシップの持ち主だった。そして政財界の大物に受けがよかったところも、共通している。

これまでの星野は体制側、古い野球の体現者だったが、もし晩年に至って、楽天の副会長になって、その認識が変わって、野球界全体のことを考え、その未来のために一肌脱ごうと考えていたとすれば、その死は痛ましい。

同趣旨のコメントもいただいたが、あと5年の命があれば、星野仙一は「野球界の変革者」になっていたかもしれない。

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1974年星野仙一、全登板成績【巨人を止めた最多セーブ&沢村賞】


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