「今から思えば惜しかった」星野仙一に対する哀惜の声が大きい。その中には、晩年の進境をおもんばかって、プロ野球の改革の旗手になったかもしれない、という声もある。

昨日書いた通り、星野はBCリーグに対して支援を表明し、実際に交流戦を実現させたり、コーチを派遣するなど独立リーグの支援に動いていた。また「野球離れ」に対しても、懸念を示していた。

しかし、星野仙一が野球の改革に対して、踏み込んだ発言をしたことはない。星野が野球界に対して危惧の念を表明し始めたのは、2016年、つまりすい臓がんが発覚し、天命を悟ってからなのだ。
もちろん、寿命がなおあれば、改革の旗手になった可能性はあったとは思うが、過大な評価はできないだろう。

星野亡き後は、王貞治に期待する声が大きい。引退から38年経つが、今に至るも王貞治を超える野球選手はいない。しかも今は、無敵のソフトバンク・ホークスの副会長。野球界で圧倒的な影響力がある。そして、パ・リーグ球団の経営者として、先見の明もあり、野球普及の必要性も認識している。
ではあるが王貞治は77歳。星野より7歳の年上だ。しかも、胃がんの病歴がある。体は鶴のようにやせ細っている。今後の野球界を託するのは酷ではないかと思う。
そして王貞治は「政治的なるもの」には一切触れてこなかった。

私は、最近、キャンプの歴史を調べているが、なぜ巨人が1968年だけ台湾の台中球場で春季キャンプを張っているのか、よくわからなかった。
実は、それは王貞治のためだった。王の父、王仕福は、中国浙江省の生まれで日本に渡った。台湾には縁もゆかりもなかったが、当時、日本で中国籍の身分を保証するのは「中華民国籍」、つまり台湾籍しかなかった。王貞治も台湾籍だったが、王貞治の活躍とともに、中華人民共和国が王の周辺にアプローチを始めた。
危機を感じた台湾側は、王貞治を台湾に招き、蒋介石と会見させる。「台湾人」という既成事実を作った。そして讀賣新聞に働きかけて、台湾、台中での巨人キャンプも実現させたのだ。
当時、台中球場は粗末なものだったが、台湾政府は巨人キャンプのために改修工事も行っている。

台中棒球場

PB140391


1年だけ行われた台湾キャンプは極めて政治臭いものだった。
王貞治は、この騒動に巻き込まれて以来、政治や意見の対立に対して、一切発言しなくなる。どんな問題であれ、野球以外の問題には当り障りのない発言しかしなくなる。
「野球離れ」のような、野球界を根底から揺るがす深刻な問題に、王貞治が火中の栗を拾うように乗り出すとは思えない。

星野仙一の盟友、山本浩二はどうか?讀賣系の解説者として長く、パ・リーグとのかかわりも少ない。今の「名球会」の中心人物だが、「名球会」が「野球離れ」に一切関心を示していないことから見ても、山本浩二のその認識があるとは思えない。

同じく盟友の田淵幸一はどうか?キャンプではよく見かけたが、やせ細り、生気がない。何かをなすことができるとは思えない。

落合博満はどうか?技術論は素晴らしいが、野球の普及には熱心とは思えない。

彼らより下の世代、桑田真澄、宮本慎也などは「野球離れ」に重大な懸念を示しているが、彼らは重鎮たちを説得できる重さはない。

星野仙一の死をきっかけとして、盟友や後輩の野球人が「野球離れ」の深刻さを本当に認識し、団結して立ち上がってくれればいいと思うが、今のところ、誰が奮起するのか、見えない状態だ。


1974年星野仙一、全登板成績【巨人を止めた最多セーブ&沢村賞】


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