足掛け3年続けているNPB1000本安打列伝。MLBの2000本安打列伝とともに再開する。戦前から戦後にかけて「鉄人」と言うべき持久力を示した名外野手。
1914年4月生まれ、同い年に黒沢俊夫、藤田宗一、戸倉勝城、MLBではジョー・ディマジオ、ハーマン・フランクス。

松山商から天王寺商に転校。立教大を中退して草創期の職業野球に身を投じる。

M-Tsubouchi


1936年秋シーズンの開幕戦、9月18日のタイガース戦に、5番中堅で先発。以後、1944年までの717試合のうち、698試合に出場。すべて規定打席以上。1944年にはプレイングマネージャー。

1945年に応召するも予備役だったために軍務に就かず。

1946年、戦前の朝日軍の主要な選手で結成したゴールドスターに入団し、プレイングマネージャー。田村駒は恩人だったが、ロビンスには加わらず。

1948年9月12日の南海戦で1000試合出場。9月28日の急映戦で、赤根谷飛雄太郎から1000本安打。いずれもNPB史上1人目だった。

1949年、中日に選手として入団、3年間現役を続けて引退。以後2年、監督を務めた。

実働16年間、すべて規定打席に達した。

現役時代は、職業野球を代表する選手だった。小柄で非力だったが足が速く、ミートも巧みだった。三振が非常に少ない打者で、1946年は442打席で6三振。
また死球が非常に多く、1946年から51年まで6年連続で最多死球。

引退した1951年も全試合に出場していた。

監督成績

M-Tsubouchi-MNG


1992年野球殿堂入り。


2016・17年R.バンデンハーク、全登板成績【ハムや金鷲は嫌だけど、初の2ケタ勝利&規定投球回到達】


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