背番号「51」、2度の首位打者、好守の外野手とイチローとの共通点が多い名選手。ただしこちらはスイッチヒッター。
1958年11月生まれ。同い年にリッキー・ヘンダーソン、ウェード・ボッグス、フリオ・フランコ、アラン・トラメル、ゲイリー・ガエッティ、オーレル・ハーシャイザー、ずいぶんな豊作年である。
NPBでは辻発彦、山﨑隆造、青島健太、久保康生、岡部 憲章、宇野 勝、弓岡 敬二郎、久保寺 雄二、原 辰徳、市川 和正、津末 英明、高木 豊、立花 義家。

カリフォルニアのエリス高校時代の1976年、7巡目でホワイトソックスから指名されるが行かず、翌年ディアブロ・バレー・カレッジに進み1巡目(全体15番目)でヤンキースに指名され入団。同期にヒュービー・ブルックス。

キャリアSTATS

W-McGee


4年間、マイナーでくすぶった挙句、1981年ボブ・サイクスとのトレードでカーディナルスへ。前年までAAが最高位だったが、AAAをわずか13試合で通過し、MLBデビュー。ワールドシリーズで2本塁打を打ち一躍注目される。

シュアなスイッチヒッターとして1,2番または6.、7番を打ち頭角を現す。1983年にはオールスターに選出される。

84年にはサイクルヒット、最多安打、首位打者、MVPに選ばれる。

守備範囲は広く、強肩で、華のある外野手だった。以後もカーディナルスの中心選手として活躍。

1990年8月29日、アスレチックスにトレードされたが、この時点で規定打席に達し、.335で2位のエディ・マレーに5厘差をつけて首位にいたため、2回目の首位打者を獲得。シーズン終了時にそのリーグにいない選手が首位打者になったのは、このケースだけ。

オフにFAとなり、ジャイアンツと契約。バリー・ボンズと中軸を組み活躍するが、94年FAとなり、レッドソックスへ。さらに96年、古巣のカーディナルスに復帰してキャリアを終えた。セントルイスでは非常に人気があった選手。

MLBでは背番号は「51」だけ。この数字にこだわりがあったようだ。カーディナルスの永久欠番ではないが、2001年にバド・スミスが付けて以来空き番になっている。


1974年星野仙一、全登板成績【巨人を止めた最多セーブ&沢村賞】


私のサイトにお越しいただき、ありがとうございます。ぜひコメントもお寄せください!

好評発売中!