選手としても監督としても傑出した成績は残していないが、併せて40年以上も活躍した野球人。

1896年11月生まれ。同い年にロジャー・ホーンズビー、バッキー・ハリス、NPBでは岡田源三郎。

クリケットのキャディをしていたが、1917年Dクラスのハノーバーを経てゲティスバーグへ、ここからルール5ドラフトでフィラデルフィア・アスレチックスへ。

キャリアSTATS

J-Dyks


コニー・マックに見いだされ、第一次世界大戦に応召された正二塁手モーリー・シャノンの代役として起用される。
一度はマイナーのアトランタ・クラッカーズに降格するが、1920年に復帰してからは不動の正二塁手となる。1922年には三塁手になる。翌年には三塁手。以後、二塁、三塁を掛け持ちするようになる。

体は大きくないが敏捷で、ユーティリティとしてコニー・マックの起用に応えるとともに、シュアな打撃でも頭角を現す。

1929年から31年のアスレチックスの3連覇に貢献するが、1932年ミュール・ハース、アル・シモンズ+1万ドルでホワイトソックスに譲渡される。アスレチックスの財政危機によるものだった。

ホワイトソックスではこの年から始まったオールスターゲームに選出される。2回出場。
1934年からはプレイングマネージャーになる。以後、42歳まで現役を続ける。

引退後も1946年までホワイトソックスの監督を務める。
1951年、恩師コニー・マックの引退とともにアスレチックスの監督に。
オリオールズ、レッズ、タイガースの監督を歴任したが、1960年、タイガースの監督のときに、インディアンスのジョー・ゴードン監督とトレードされてインディアンスの監督になる。監督のトレードは極めて珍しい。

1961年に引退。監督成績。

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一度も優勝はなし。野球殿堂入りはせず、1976年に死去。


1974年星野仙一、全登板成績【巨人を止めた最多セーブ&沢村賞】


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