平成の初めの頃に豪快な打撃を見せたスラッガー。
1965年12月生まれ。同い年に古田敦也、佐々木誠、村上嵩幸、山本昌、渡辺久信、吉井理人、武田一浩、小宮山悟、MLBでは、クレイグ・ビジオ、スティーブン・フィンリー、トッド・ジール、ケビン・ブラウン、アル・ライター、ルーベン・シエラ。

一律尼崎高校時代に夏の甲子園に出場。1983年ドラフト2位でヤクルトに入団(修正)。

Ikeyama


1年目は7回打席に立ったが安打は出ず。以後、控え野手だったが、1987年に監督に就任した関根潤三に気に入られて正遊撃手になる。

「ぶんぶん丸」とあだ名されたように豪快なスイング。三振を恐れず本塁打を狙う姿勢は日本人離れしていた。
悪ガキっぽい風貌と相まって、同い年の古田敦也とは対照の妙をなしていた。

1988年から5年連続30本。1990年には3割30本、いずれもNPBでは池山だけ。

守備もダイナミックで華があった。1992年にはゴールデングラブを受賞。

1000本安打は、1994年8月11日、ナゴヤ球場の中日戦、6番遊撃で先発し、7回表に野中徹博から 。

1996年にアキレス腱を負傷、翌年三塁手にコンバートされる。これで寿命が延びた。

91年まで背番号「36」をつけていたが、92年からヤクルト歴代の強打者がつけた「1」に。しかし岩村明憲が台頭すると2000年、現役中でありながら背番号「1」を譲り、「36」に戻る。極めて異例。人柄がしのばれる。

引退後は楽天、ヤクルト、楽天とコーチを務める。



1974年星野仙一、全登板成績【巨人を止めた最多セーブ&沢村賞】


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