元貴闘力が、「ワイドナショー」で発言した。
暴行事件は「昔はもっとひどかったんですけど、ずっと隠していたような状況が多かった」

「品格はないって言ったら品格はない。それをやめろっていったら昔、江戸時代に雷電為右衛門っていて、雷電だけ張り手が禁じ手だった。白鵬だけ禁じ手にすればいい」
これは講談の話。雷電は史上最強力士と言われ、張り手、閂を禁止されたとか、土俵で人を殺したとか言われるが、フィクションである。相撲の歴史をちょっとでも知っている人はこんなことは言わない。
貴闘力はさらに「昔は相撲は見世物だった。スポーツではなかった」と語った。
今回の一連の大相撲の話題で痛感するのは、ちゃんと相撲の歴史を踏まえた報道がされていないということだ。相撲についてろくに調べもしないで、目の前で起こったことだけをセンセーショナルに騒ぎ立てている。
この番組は録画だったのだから、雷電の話などカットできなかったのか。こんな与太でも面白ければ、注釈もなしで流すのか?

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相撲は「見世物」だった。という見方は、元貴闘力だけでなく、何人かの識者が言及している。
玉木正之氏は、相撲は神事だった。また興行であり、近代スポーツが成立する以前から存在していた。
だから八百長も含めて文化だ、というようなことを言っている。

私も一時期その意見に同意していたが、思い直してみればそれはおかしいと思う。
野球でも、バスケでも、バレーボールでも、柔道でも、ボクシングでも今行われているスポーツは、クーベルタンが近代五輪を創始し、近代スポーツが始まる以前から存在していた。
そして、近代スポーツの始まりとともに、その趣旨に沿う形でルールや仕組み、組織を変えてきた。
その点では、相撲も何ら変わらない。

野球はかつては賭博の対象であり、不正が横行していたが1919年のブラックソックススキャンダルを期に大きく変化した。
柔道は、江戸時代までは「柔」と呼ばれ、各流派が分立していたが、明治期に嘉納治五郎によって競技として再構築された。嘉納は日本を五輪に参加させた人物であり、日本に近代スポーツを植え付けた人物だ。

オリンピックとは別個に、近代に入るとスポーツは、公平性を重視したルールに改定するなど、大きく変化した。それは市民社会が誕生して、人々の意識が高まったことと連動している。オリンピックが始まる前から、スポーツの近代化は始まっていたのだ。

相撲も例外ではない。18世紀後期、宝暦期の大相撲には、相撲は取らないで土俵入りだけをする巨人が「大関」に張り出されていた。まさに「見世物」だ。人々は喜んでそれを見物した。これを「当座関」「看板」と言ったが、18世紀にはいるとこれはなくなり、実力者が大関になるようになった。
また、星取表に従って番付が上下するようになった。

大相撲も伝統とはいいながら、社会の変化に伴って変化してきたのだ。土俵の大きさも変わったし、仕切り線もできた(時代劇で相撲のシーンが出てきて、土俵に仕切り線があったらそれは間違い)。土俵には昔、柱が立っていて、そこには検査役(今の審判員)が座っていたが、四本柱は廃止され、審判員は土俵下に座るようになった。
力士が同体で落ちると昔は「預かり」「無勝負」となったが、今は取り直しとなる。相撲の決まり手も整理された。

大相撲もどんどん変化しているのだ。「伝統」を盾に八百長や不正を正当化することはできない。
「スポーツ」ではなく「見世物」である道を選択したプロレスのような道もあるが、その後、プロレスの社会的ステイタスが、一気に下落したことを考えても、大相撲がプロレスの道をたどることは考えられない。

貴乃花親方が何を訴えようとしたかいまだに不明だが特定の力士が結託して「八百長」や「不正」を行っているとすれば、日本相撲協会は自らそれを解明しなければならない。
そしてスポーツにあるまじき「暴力」「反社会行為」は徹底的に排除しなければならない。相撲がスポーツである限り、それ以外の道はない。


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