一昨日、大阪市内で行われた堺ビッグボーイズの阪長友仁さんのセミナーをのぞいた。この内容は「東洋経済ON LINE」や「Full-Count」に掲載するが、非常に示唆に富む部分があったのでブログにも書く。

阪長友仁さんのセミナーは全国各地でシリーズで続けられていて、その4回目だった。
それほど堅苦しいものではない、阪長さんの近況報告があり、とくにメキシコ、ドミニカ共和国のウィンターリーグの模様などが紹介された。先日の筒香のメッセージも紹介した。

その上で、参加者に「日本の野球は教育の一環である」とされるが、どの部分がそうか?という問いかけがされた。

参加者は教員だ。野球指導者だけでなく、テニスやバスケの指導者もいる。彼らは口々に
「社会に出て生きていく手段を学ぶ」
「どのように生きるかを知らしめる」
「人間性を身に着ける」
「礼儀、作法」
「チームワーク」
「モノの考え方、生き方」

などを挙げた。

実際にそうなっているのかどうかは別にして、教育関係者に高校野球、そして学校スポーツの目的は、と聞けばそういうことになろう。

阪長さんは、こうした意見が出尽くした後に
「これって、みんな"今"じゃなくて、選手たちの未来のことですよね」
と言った。
確かにこうしたことは20歳を過ぎて、社会に生きていくうえで必要なことだ。
「でも、今の高校野球、部活は、"今の結果"を追い求めていませんか?」

私ははた、と膝を打った(心の中だけども)。野球だけでなく日本の部活は「将来に役に立つことを身に着ける」と標榜しながら、目先の勝利に汲々となっているのだ。

「人間性を身に着ける」というのは、教育者が良く言う。どういうことなのか今一つ分からない言葉だが「人間らしさ、ヒューマニティ」のことだとすれば、それは「喝頃」で身につくのだろか?「一戦必勝」で何が何でも勝とうとすることと、ヒューマニティはどこでどう結びついているのか?

その場では出なかったが仮に「人と競争して勝つ能力を身に着ける」という意見が出たとしても、高校野球で「一戦必勝」にこだわることは、それに即しているとは言えない。
「教育」が「未来への準備」であるとするならば、本当の「勝負の場」は20歳以降にやってくるはずであって、高校はそのための準備の場であるはずだ。
「負けて覚える相撲かな」ではないが、本当の勝者になるためには高校では「敗者の味」も知っておくべきだ。少なくとも、体を壊してまで勝利を追い求める必要はないし、それは本来の「教育」とは別物だろう。

阪長さんのこのセミナーから、私は今の学校スポーツ、そして大きなことを言うようだが、日本の教育の問題点が浮き彫りになったように思った。

以下続く

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