今年は中日キャンプに話題が集まりそうだ。松坂大輔が移籍して、大きな注目を集めている。
まだこんなに人気があったのか?ということがそもそも驚きではあるが。

1976年2月、大阪府堺市の中百舌鳥球場は、ファンと報道陣であふれかえっていた。
1月28日、阪神タイガースが江夏豊の放出を決定、南海の江本孟紀らとのトレードで、南海行きが決まったのだ。

当時の南海は資金不足のため一次キャンプは二軍本拠だった中百舌鳥で行っていた。
2月1日、果たして江夏はやってくるのか?報道陣もファンも見守る中、江夏は車でやってきた。運転はしなかったようだ。

この日は雨や雪は降っていなかった。しかし寒かった。南海ナインはユニフォームに着替えるとウォームアップ、ランニングをしたのちに、キャッチボールをしたが、それも30分で終えて、早々に宿舎に戻っていった。
「なんや、これだけか」ファンがいった。

この年は張本勲が日本ハムから巨人に移籍、OH砲が話題になっていた。また、太平洋クラブライオンズはMLBの名将レオ・ドローチャーを監督として招聘していた。

ドローチャーは2月になっても来なかった。スポーツ紙には「今日もドローチャー来ず」が見出しになっていた。結局、ドローチャーは来なかった。

南海は和歌山県田辺市で二次キャンプを張った。
江夏は、この頃にはチームに溶け込んだ。阪神番の記者も南海キャンプを訪れたが、驚きの声を上げたのは「江夏がちゃんと走っている」ことだった。
選手の一団の最後尾ではあったが、江夏はノルマの距離を走っていた。
「阪神では一人だけ途中でやめていたのに」記者や解説者は驚いた。

野村兼任監督は、ブルペンで江夏の球を受けた。
「さすが、江夏の球は生きとる」
「よう考えて投げとる。一流の選手は違う」
野村はメディアに対してことさらに、江夏をほめあげた。江夏は毎日、気持ちよさそうに練習をし、ブルペンで投げた。

南海のキャンプは、これまで人もまばらで、寂しいものだったが、この年は報道陣のみならずファンも大挙して押しかけた。
南海電鉄は和歌山市までで、あとは国鉄乗り継ぎだったが、乗客が増加したという。

江夏は南海の1年目は先発でスタートした。救援投手というアイディアはまだ野村の頭の中にはなかったが、とにかく、江夏は野村克也に再評価されてよみがえったのだ。

松坂大輔でいえば、森繁和がその役割を担うのだろうか。

おだてにおだてて、この歴史的な投手を再生させてほしいものだ。

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たばともさんのクラシックSTATS鑑賞、5周年である。ぱちぱちぱち
5年目になりました


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