ベーブ・ルースからテッド・ウィリアムスまでを知る名選手だが、私にとってはアメリカン・リーグ会長時代の印象が強い。
1906年10月生まれ。同い年にロイド・ウェイナー、ジョー・クーヘル、ポール・デリンジャー、サッチェル・ペイジ。

サンフランシスコ生まれ。高校からピッツバーグ・パイレーツと契約。ミドル・アトランティックリーグのジョンストン・ジョニーズへ派遣される。

キャリアSTATS

joe-Cronin


1926年にはパイレーツに昇格。当時は二塁手だったが、1928年4月にアメリカン・アソシエーションのカンザスシティに譲渡される。さらに7月にはアメリカン・リーグのワシントン・セネターズに7500ドルで譲渡される。

ここで遊撃手となり、頭角を現す。外野にはグース・ゴスリン、サム・ライスなどの大選手がいた。

打者としてはシャープな中距離打者として活躍。勝負強く、打点が多かった。

1933年にはプレイングマネージャーになる。初年度の優勝するが、オーナーのクラーク・グリフィスは経営難のため、1934年10月、クローニンをボストン・レッドソックスにトレードする。リン・ラリー+22.5万ドルだった。

レッドソックスでも監督兼任。ジミー・フォックス、ボビー・ドーアなどと打線を組む。

当時としては大柄な遊撃手だったが、守備は堅実。好守ともにバランスが取れていた。

テッド・ウィリアムスを見出してレギュラーに起用したのもジョー・クローニン。1941年に、テッド・ウィリアムスがMLB最後の4割を打った年、クローニンは中軸を打って、自身最後の3割をマークしている。

1945年、終戦の年に引退したが、監督としては1947年まで勤める。

監督成績

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なかなか優勝できず、1946年に初優勝している。しかし勝率は優に5割を超え、名将と言ってよい。

40歳でレッドソックスのGMになり手腕を発揮、さらには1959年にはアメリカン・リーグの会長を務める。

今、リーグ会長という役職はないが、選手からMLB機構の副会長にまで上り詰めたジョー・トーリに近いかもしれない。

選手としても一流で、監督、GMからリーグ会長まで出世した。中学の頃、永井正義さんの本でクローニンの伝記を読んだ覚えがある。

1956年には殿堂入り。1984年に死亡した。この年、レッドソックスは「4」を永久欠番にした。


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