「甲子園」は、高校部活の全国大会であり、その点では他の部活と何ら変わりはないはずだ。しかし、「甲子園」は、毎年春と夏には日本中が盛り上がる国民的なイベントになっている。このことによって「そもそも論」が、吹っ飛んでしまっている。

「甲子園で燃え尽きること」の是非は、普通に考えれば明らかだ。
高校生が、健康被害のリスクを冒してまで、過酷な練習や試合をすることの正当性はない。非常識だ。
しかし「甲子園だから」となれば、そいう非常識がまかり通る。

「甲子園」は「高校生の最高の舞台」の代名詞であり「青春の全てを賭ける価値がある」という意識が定着している。
多くの高校野球ファンは、そのことにほとんど疑問を抱いていない。何といっても1世紀にわたって、そうだったのだ。日本人は「伝統」という言葉に弱い。「伝統」だと言われれば、思考停止して恭順の意を示す。
新聞社主催の、たかだか1世紀くらいのスポーツイベントを「伝統」と呼ぶのは、1000年以上続く日本史のスケールから言えば、あくまで「比喩」「表現」の類だ。日本文化と同様に恭しく接するのは笑止ではあるが、一般の人はそうは考えない。

「甲子園」があまりにも巨大なイベントになったために、高校生の健康に懸念が生じ、私学を中心に「高校野球ビジネス」が横行し、野球界全体の発展を阻害している、という事実を提示されても、多くの人々は「甲子園だから」「最高の大会だから」と、現状を擁護する側に回るはずだ。

野球の現場からは、「いい加減にしてほしい」「もたない」という声が上がっている。問題を突き詰めていけば「甲子園」「高校野球」「高野連」に行きつく部分が多い。
厳密に言えば「高校野球」に代表される「学校部活」の問題が根底にあって、その一番濃厚な部分が野球界だということになるが、この問題は避けては通れない。

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しかし当事者のそうした思いとは裏腹に、世間は「甲子園」を神聖化し、そこで燃焼することを「無上の善」と賛美する。甲子園のファンは善意であり、善良な人々ではあろうが、無知、無関心のために結果的に野球改革の抵抗勢力になっている。
高野連や朝日新聞などは、そういう図式をよく知っていて、シェルターのように使っている。
また「熱闘甲子園」などは、すでに多くの批判があることを知らぬふりをして「甲子園ファン」をあおっている。
一方で「高校野球改革」をおずおずと訴えながら「熱闘甲子園」で旧来のイメージを拡散する。朝日の意図がどこにあるのか、理解に苦しむ。

「業界の事情」が「世間の無知」によって変革できない。こういうことは今の日本社会では、よく見られる。難しい問題だが、乗り越えていかざるを得ないのだろう。


たばともさんのクラシックSTATS鑑賞、5周年である。ぱちぱちぱち
5年目になりました


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