東京都北区の赤羽の駅から少し歩いたところに「味の素ナショナルトレーニングセンター」という施設がある。いろいろな競技施設が立ち並んでいるが、ここはただの運動公園ではない。
「我が国におけるトップレベル競技者の国際競技力の総合的な向上を図るトレーニング施設」として作られた。

この施設は一般の人向けではない。
いわゆるエリートアスリートのために整備されたトレーニング施設であり、エリートたちはここで共同生活を送りながら、オリンピックを目指す。
昔はオリンピックだけだったが、今はパラリンピックも目指している。エリートパラアスリートもここで練習している。

施設内にはJOCエリートアカデミーもある。有望なアスリートを小中学生のうちからピックアップしてここで共同生活させ、勉強もしながら鍛えるのだ。学校へはここから通う。家庭教師もつく。
卓球の平野美宇、張本智和はここの出身だ。

要するに「メダリスト養成所」だ。日本が国力のわりにメダリストが少ないことを憂慮した日本政府が、こういう施設を作り、エリート中のエリートを養成しようとしている。

今世紀に入っての日本のスポーツ政策は、せんじ詰めればこれである。中国やロシアの「ステートアマ」と同じものを量産しようとしているのだ。

一方で、五輪種目でないか、五輪種目でもメダルに縁がないマイナースポーツの環境は相変わらず過酷だ。こういうジャンルのアスリートは企業の支援に頼らざるを得ないが、企業は必ずこういう「それで、お前はオリンピックに出れるのか?」「メダルは取れそうなのか」それが確約できなければ、支援はおぼつかない。
彼らは食うや食わずでスポーツをしている。

本来、スポーツは、国民が健康で文化的な生活を送るための手段であり、国民すべてが享受できるもののはずだった。自分が好きなスポーツを楽しむことは、国民の権利と言っても良い。
結果や巧拙は関係ない。スポーツは、競技であるとともにレクリエーションであり、楽しむものだからだ。

しかし日本では、スポーツとは才能に恵まれ、能力のある一握りのエリートのためにあるものであり、その他大勢の一般人は、それを見て応援するしかない。自分たちがスポーツをする環境はどんどん少なくなり、特に所得が低い人にはスポーツなど夢のまた夢である。

「才能のないものはスポーツしなくていい。邪魔しないで勝手に応援でもしてろ」これが日本のスポーツ行政の本音なのだ。甲子園しかり、オリンピックしかり。

だから一般人のスポーツへの理解は進まない。「メダル」だけを至上命題として、アスリートにプレッシャーを与え、勝者を無条件で絶賛し、敗者に失望する。

メディアも、一般の人々も、スポーツにふれる機会があまりないから「ド素人」なのだ。全然目が肥えていない。

日本のスポーツの世界には「格差社会」と通底する、ヒューマニズムのない、寒々とした風景が広がっている。

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