昨日、BSでフィギュアスケートのドキュメントを放送していた。
荒川静香は、トリノ五輪で金をとることになる一世一代の滑りをしながら「競技者としてスケートをするのは、これが最後になるんだわ」と悟ったという。ぐっとくる話だ。

彼女は競技者としてのピークを実感しながら、同時に「選手生命」の終わりも感じたのだ。24歳での金メダルは、フィギュア最高齢だというが、彼女の脳裏には、その24年の歳月が、一瞬でフラッシュバックしたのではないか。

NHKというのは、バカ騒ぎをあおるだけでなく、こういうコンテンツも作ることができる。民放との違いではある。

トップアスリートの凄絶な努力を否定することは誰にもできない。求道者のような命を刻む営みは、それ自体が人を粛然とさせる。そうして彫琢された肉体は、例外なく美しく、そのパフォーマンスは人の心を打つ。

オリンピックは、ほとんどのアスリートにとって至高の舞台であり、これに出場してメダルを得るのが、人生の目的になっている。
人々は、一個の天分に恵まれた人間が、この一瞬に燃焼しようとするさまに感動する。これは幸せな関係ではあろう。

本来、トップアスリートのこうした頂点の営みは、感動を伴って、同じスポーツをする裾野へと拡がるべきである。
もちろん、五輪アスリートになろうとする子供は増えるだろう。そういう施設はうるおい、指導者は儲かるだろうが、そこから下へは恩恵はいかない。

ウィンタースポーツであれば、スキーやスケートを一般人が楽しむ施設が増えるとか、入門教室が開かれるとか、そういうところまではいかない。

日本ではスポーツの普及とは、「次のエリートを作るための準備」であり、一般スポーツの普及、拡大まではいかない。

老若男女がオリンピックで見たスポーツを「やってみたい」と思っても、手軽に始めることはできない。子どもがそのスポーツを始めたとしても、へたくそだったら選別され、楽しみながら続けることはできない。

結局、この国での普通の人々の「スポーツ参加」は、「他人がやっているスポーツに拍手する」ことにとどまるのだ。

高校野球を取材していると、そういう例あきれるほどたくさん見かける。スポーツは「できる人だけがやる」「できない人は、応援する」この図式が、果てしなく続いている。

ナショナルトレセンについて、こうした施設を作るのは世界的なスタンダードであり、日本は遅すぎたくらいだというご指摘をいただいた。感謝する。そのことは理解するが、私はメダルを取るようなトップアスリートを輩出する「エリート養成機関」を作るよりも、誰でも使えるスポーツ施設を整備するほうが、優先順位が高いと思う。しかしスポーツ庁も文科省もそちらに力点を置く気配は見えない。「エリートを作る」ことばかり重視している。

超高齢化社会、そして貧富の格差が広がり、子どもの貧困が先進国でも酷いレベルになっている。
そんな日本では、一握りのエリートを作るよりも、みんながスポーツを楽しむことができる政策を推進する方が重要だと思う。
より多くの人がスポーツにふれ、すそ野が拡がれば、トップアスリートのレベルも高くなる。これが本来の順序ではないか。

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野村克也、投手別本塁打数|本塁打大全


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