オリンピックが終わって、多くの「勝負」に決着がつき、たくさんの勝者と敗者が生まれた。スポーツの本分は「勝利ではない」といくら強調しても、「勝たなければ話にならない」ことをしみじみ感じる時期だ。

カーリングの銅メダリストたちは、今やアイドルのようにもてはやされている。彼女たちの勤め先や、行きつけの飲食店まで注目される。おなじみの光景だが、もし、あのイギリスとの3位決定戦で、イギリス側の失敗がなく、藤澤が神ショットをものにしていなかったら、彼女たちの「今」は大きく変わっていたはずだ。

そもそもオリンピックから帰国した選手の共同記者会見には、メダリストしか呼ばれない。フィギュアスケートの宮原知子は、キャリアハイの高得点を残したが4位に終わったためにその席にはいなかった。
ジャンプの高梨沙羅は、女子ジャンプ史上最強選手なのは間違いないが、銅メダルを取っていなければその席に居ることはできなかった。レジェンド葛西もその場にはいなかった。

五輪のメダルは多くの勝負事と同様に、運にも大きく左右される。しかしそれも含めて「勝たなければ話にならない」のだ。

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五輪とともに先週、話題になったのがボクシングだ。王座奪還をかけてWBCバンタム級1位の山中慎介が、王者ネリに再選を挑んだが、ネリは事前の計量で大きく体重オーバーをしてタイトルマッチの価値を減じさせたうえで、有利な体重で試合に挑み、山中を破った。
いろいろな見方ができるだろうが、ネリはイーブンな条件で戦って「負ける」ことを恐れた。しかしファイトマネーも手に入れたかった。そのために非難を浴びながらもこうした作戦に出たのだろう。
それでもメキシコではネリを祝福する声が大きいという。まさに「勝てば官軍」だ。

みんなスポーツよりも「勝敗」に夢中になるのだ。選手の卓抜した運動能力や、鋭い感性、肉体の躍動美などをじっくり観察するのではなく「結果」だけを求める。
本当のスポーツ好きは、実は世の中にはあまりいないのではないかと思われる。スポーツは要するに他人事であり、結果だけを知ればいいものなのだ。

9日から平昌では、パラリンピック冬季大会が行われる。この大会こそ、スポーツの多様性、ハンデを乗り越える人間の偉大さを世界に知らしめる大会だったはずだが、NHKは「前回大会を上回る史上最多のメダルを目指す」と紹介している。
パラが、盛大な大会になり、ハンデキャップの人々が正当な権利を手にして称賛を集めるのは本当に喜ばしいが、勝者への過剰な期待が、スポーツをゆがめることになれば、何の意味もないと思う。


2017年井納翔一、全登板成績


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