この事件、少しレベルの高い人が当事者だったら、却って大相撲のイメージアップにつながっただろうと思う。
日刊スポーツ

大相撲の春巡業が4日、京都・舞鶴文化公園体育館で行われ、あいさつをしていた多々見良三舞鶴市長(67)が土俵の上で倒れた。スタッフや観客らが心臓マッサージなどを施したが、その中に含まれた女性に対して土俵から下りるようアナウンスがあった。場内アナウンス担当の若手行司が、周囲の観客にあおられて慌てて口走ってしまったという。市長は命に別条はないが、精密検査を受けるために舞鶴市内の病院に入院した。

どうでもいいが、この記事の文章、かなりひどいね。「その中に含まれた」って、天才バカボンの「あれ、今日はママに誰かまざってるぞ!」を思い出した。おまけにタイトルは「女性乱入ハプニング」である。

それはともかく、この事件の「正解」は言うまでもなく、土俵に駆けつけた女性看護師に治療を続けさせることだ。

たとえ女性が土俵に上がっても、大相撲の伝統は小動もしない。その上で、「女人禁制」の原則も変える必要はなかった。

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「女人禁制」は相撲が「神事」「古典芸能」というの側面を持っていることから来ている。「女性は月経によって汚れている」というタブーは、落語「あわびのし」でも知られるが、江戸時代以前は広く信じられていた。高野山など女人禁制の聖域は日本にはたくさんあった。大相撲も神事としての建前で続けられてきたからこのタブーを維持してきた。歌舞伎が女性を排除した「野郎歌舞伎」になったのは、江戸幕府の圧力によるとされるが、江戸時代まで、能楽(狂言含む)など多くの芸能も女性を締め出していた。近世まで「結界の向こうで芸事ができるのは男だけ」という認識が存在したのだ。

明治に入って娘義太夫や女性の奇術師などが人気になり、宝塚歌劇もできるなど、芸能界の女性に対するタブーはなくなっていたが、相撲と古典歌舞伎だけが女人禁制を守ってきた(前進座や東宝歌舞伎は女性を舞台に上げている)。

大相撲は、スポーツではあるが、この手の「よくわからない因習」をたくさんぶらさげたまま現在に至っている。頭髪を結って髷にすることも、土俵入りも、呼び出しや行司も、純粋の競技の観点からは必要ない。着物や浴衣を日常的に着用することもそうだ。
しかし相撲はそうしたスポーツにあらざるものを「伝統」として継承することで、独自のポジションを保ってきた。
昭和初期、春秋園事件で相撲協会と袂を分かった天竜三郎一派が、髷を廃止し、ボクシングを真似てレフェリー、リングアナで相撲興行をしたことがあったが、客は入らず、興行的に失敗して消滅した。

日本人も相撲を純粋のスポーツというより、伝統芸能の部分も残した独特のポジションであることを容認している。しかし、昔からの因習だからと言って「八百長」を容認することはない。スポーツとしての公平性、健全性が担保される前提で「伝統」も理解しているのだ。

「女人禁制」は、今となっては何の意味もないが、髷や土俵入りと同様、相撲界がひきずってきた「伝統」の一つだ。おかしな因習ではあるが、目くじらを立てるようなものではない。

ちなみにアマチュア相撲では、女性スタッフが呼び出しの代わりに土俵に箒の目を入れている。これを問題視する声はない。要するにこれは「相撲」という競技の問題ではなく、「大相撲」という伝統文化集団のマターなのだ。

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昔、大阪府の太田房江知事が土俵に上がろうとして物議を醸した。大阪府民はこの知事を「房江」と呼び捨てにしていたが、多くの人は「また房江がいらんことを」と思ったものだ。
女性が土俵に上がって表彰状を渡したり、挨拶したりするのは、どうでもいいことだ。それが女性の地位向上につながるわけでもない。「すいません、女人禁制なんです」と言われれば「そうですか」と引き下がればいいだけだ。世の中にはこの手の変な因習はいくらもあるのだ。

しかし相撲界の女人禁制はあくまで「神事」「きれいごと」の世界である。今回のように人命がかかわる重大時になれば、その瞬間にそのタブーは解除される。女性看護師が土俵に上がって急病人を介護するのは、相撲の伝統を傷つける行為ではないし、当然の行いだ。

相撲協会は、現場でアナウンスをしていた行司に「女性看護師に土俵に上がってもらえ」と指示をし、人命救助に全力を尽くせばよかったのだ。
その上で「女人禁制は相撲の伝統だが、緊急事態に鑑み、例外と判断した」と言えばよかったのだ。世間はその機転に拍手を送っただろうしかえって「女人禁制」への理解も進んだはずだ。

大相撲界には、「女人禁制」への非難が集中するだろう。自分たちの対応がまずかったために、あたら「伝統」の一つを失う羽目になりそうだ。まさに自業自得だ。

相撲界はすっかりダメになった。内向きになって、仲間内での評価ばかり気にして、世間のことがわからなくなっている。市長が運ばれた後、土俵に大量の塩が蒔かれたのは春日野巡業部長の指示だろうが、これも含め「社会がどう受け止めるか」に対する想像力もなくなってしまった。

ちなみに日本の高校野球もついこの間まで「甲子園の女人禁制」をあたかも「伝統」のように続けていた。こちらは伝統でも文化でもない。即座に廃止すべきものだ。

日本のスポーツ界が、どんどん保守的に、内向きになって、社会性を失っているのは、昨日発表があったのレスリング協会のパワハラ問題でもわかる。
今、スポーツ界には、本当の意味でガバナンスを持った人材、人格、能力ともにそなえた人材が必要になっていると痛感する。




2017年加賀繁、全登板成績



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