大谷翔平が出てきたときにムックの作成に参加し、私も書いたが、このとき関根潤三さんのインタビューも載った。もう歩くのが困難になっているようだ。
日大三中から法政大、根本陸夫とは同い年で旧制中学時代からの盟友だった。

投打の成績

sekine


1949年の野球雑誌を見ると「法政の大エース関根がどこへ行くのか」は、けっこうな話題になっていた。
東京出身だから、巨人に行くという話もあったが巨人は「体が小さい」という理由で消極的だったという。恩師藤田省三が近鉄の監督になった縁で近鉄に。

パールズと言った弱い近鉄では関根は田中文雄、沢藤光郎とともにローテーション投手となる。1954年には16勝とエースの働き。しかも打率3割をマークするなど打者としても相当な働き。

肩を痛め外野手に転向。シュアな左打者として、.高打率を残す。

野球センスが抜群だったのだろう。30歳を過ぎてからの野手転向だったが、打者一本でいけば首位打者を取ったのではないだろうか。

その後、大洋、ヤクルトで6年間監督。Aクラス入りは1度だけ。

2003年殿堂入り。この程度の実績で殿堂入りしたのは誠に不思議ではある。




2017年加賀繁、全登板成績



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