一昨日の宮川泰介の記者会見によって、日大アメフト部の一連の事件は、新しいフェーズに入るはずだった。「事実関係を争う」フェーズから、「行為、言動の意味、評価を争う」フェーズ、そして「事態収拾を模索する」フェーズへ。
宮川泰介が会見で述べた「事実関係」を、世間は「真っ当なもの」と受け止めた。指導者に強要されて暴力タックルをしたのは「事実」であると。
宮川がこの期に及んで「食言」する必然性は全くない。彼は顔と名前をさらして会見をし、アメフトから足を洗うと断言した。失うものが何もない状態で、ひたすら謝罪をするために会見をしたのだ。印象面でも、そして彼の言う「事実」の妥当性でも、宮川の会見は、決定的なものだった。

本来ならば、この会見を受けて、日大側は宮川の謝罪会見を追認し、これを全面的に受け入れ、その上で、事態収拾へ向けた新しいフェーズに入るべきだった。いわば防衛ラインを思い切り下げて、監督、コーチではなく、アメフト部、日大スポーツを守ることを考えるべき段階だったはずだ。

しかし昨夜の日大側は、考えられないような会見をした。「事実関係」をまだ争おうとしたのだ。関学側からの告発に対応して、監督が罪に問われないことを考えたのだろうが、見苦しい言い訳に終始した。「言った言わない」のレベルに拘泥ることに、今や何ほどの意味もない。指導者がどんな意図で指示をしていようとも、結果的に選手は指導者に言われて暴力行為に走ったのだ。その責任は逃れえない。
この会見には内田正人前監督に加え井上奨コーチが出席したが、井上コーチは「やばいところ、罪に問われそうなところ」を引き受け、内田前監督を守るための人身御供になるために出席した、と思えた。
日大側は「内田正人を死守する」ことを絶対的な防衛ラインにしているようだ。それだけ日大の体制側にとって重要な人物だということだろう。

昨夜の会見では、日大広報の対応の異常さが目立ったようだ。質問を遮ったり、強引に会見を終わらせようとした。「(質問に答えなくても)日大のブランドは落ちない」と断言して、報道陣の失笑を買ったりもした。
広報が共同通信の記者上りだったことが話題になっているが、今の記者クラブの記者で「広報」の機能についてちゃんと理解している人はいないだろう。それは不祥事が起こったときにNPB機構の記者上りの事務局担当者が、稚拙な対応しかできないことを見ても明らかだ。
記者上りが企業や大学に採用されるのは、単に、報道側に顔が利くからであり、プロの広報マンとして手腕があるからではない。
事態が炎上する一因に、日大広報の無能があるのは間違いないだろう。

日大は田中英壽理事長、内田正人常務理事らの「体制」を維持することを考えている。しかし、危機管理の考え方が欠落しているため、どんどん窮地に追い込まれている。
企業、組織の危機管理の基本は「社会からどう見られるか」を正しく認識することから始まるが、彼らは内向きで、驚くほど「世評」に疎い。
すでに「内田正人」「アメフト部」は、世間の非難によって猛火に包まれている。その火は日大本部に延焼しようとしている。今なすべきはそれらを見棄てて「日本大学」のこれ以上のイメージ悪化を阻止することだが、彼らはまだ火に包まれ焼け落ちようとする建物の前で騒いでいるのである。

悲しいまでの時代錯誤、無能。大学というよどんだ水の中では、しばしば「人間の劣化」が進行するのだ。

少子化の中で私立大学は、イメージアップを目指して次々と新しい手を打っている。近畿大学などは、今や「次代を担う大学」として大きな期待感に包まれている。
近畿大は「日本大学大阪専門学校」としてスタートしたが、本家と分家ではかくも違うか、というほどに差が開いてしまった。

日大本部に当事者能力がないのは明らかだ。日大職員、学生、そしてOBは大学の権威、伝統を守るために、本部役員の更迭を含めた人事刷新に動くべきだろう。

nicidai



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